家政夫が、子どもたちの本棚で見つけた作家への道

家政夫が、子どもたちの本棚で見つけた作家への道

Yuta Zayasu

2026年8月14日

沖縄県那覇市生まれ。沖縄と東京を拠点に、木に宿る精霊「キノセイたち」を描く。2024年に制作活動を始め、2025年に絵本第1作『きのせいかな?キノセイだよ‼︎』を発表。絵本やイラスト、粘土作品を通して、時代を越えて子どもたちに笑顔や希望を届ける作品を目指している。

300軒の本棚の先にあった、作家への入口

創作活動のきっかけを教えてください。

僕は2018年から2024年末頃まで、約7年間東京で暮らしていました。その間にモデルなどいろいろな仕事を経験し、後半の3年半ほどは家政夫をしていました。

いろいろな家庭で料理や掃除をする中で、子どもたちの本棚を整理することもあったんです。そこで『はらぺこあおむし』や『ぐりとぐら』のような絵本を、何度も見かけました。

僕が生まれる前から子どもたちを楽しませてきた作品が、今も残っている。それが本当にすごいと思いました。僕自身、小さい頃から絵を描くことが好きで、いつか絵本を作れたらいいなと思っていました。

自分がいなくなった後も作品が残り、これから生まれてくる子どもたちを楽しませてくれたら、僕も幸せだし、ほかの人も幸せだと思って。そこにときめいて始めました。

子どもの頃からアイデアがあったんですね。その時からオリジナルのキャラクターを描いていたんですか?

描いていました。『バーバパパ』や『バムとケロ』が好きで、「こんな家に住みたい」「こんな日常を送りたい」と想像していました。妖怪のような、少し怖いものも好きでした。

既存のキャラクターにも、「羽があったら格好いい」「こうした方がかわいい」と、自分なりの要素を付け加えていました。

ポケモンやデジモンのキャラクターをトレースするのも好きでしたが、それは自分の中では「描く」というより「写す」感覚に近かったんです。頭の中の世界を紙に映し込み、まだないものを生み出す時に、絵を描いている実感がありました。

そこから、本格的な活動になった経緯を教えてください。

モデル仲間が原宿のギャラリーで開いていた個展を見に行ったことがきっかけです。「自分もやってみたい」と話したら、「意外とすぐできるよ」と背中を押してくれて。それで翌年に個展を開くと決め、周りにも宣言して、作品発表用のSNSも始めました。

その時点では、キャラクターもテーマも決まっていませんでした。描き始めると「キノセイたち」が自然と出てきたんです。

すごい行動力ですね。「キノセイたち」は、どのような発想で生まれたのでしょうか。

父方と母方の祖父母が、どちらも盆栽やガーデニングをしていました。小さい頃から緑や花、木に囲まれて遊んでいたので、植物は暮らしの中に自然にあるものでした。

もう一つの影響は、沖縄から東京へ出て、初めてイチョウを見た時の感動です。沖縄にはイチョウがないので、「こんなにきれいな木があるんだ」と驚きました。その時の写真は、今もiPhoneのロック画面にしています。

作品を作るなら、外から借りてきたアイデアではなく、自分の人生や感情から本当に湧いてくるものにしたい。そう考えた時に、あのイチョウを思い出し、最初のキャラクターを描きました。

出来上がった時、「これでいけるかもしれない」と思いました。半分は自分が作った感覚ですが、半分はキャラクターの方から選んでもらったような感覚もあります。その後、ほかのキャラクターも次々と浮かんできました。

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自分の喜びが、誰かの喜びへつながっていく

作品はどのように制作していますか?

基本的にはiPadとProcreateを使っています。当時は1Kの部屋に住んでいたので、キャンバスを何十枚も作って保管するのは現実的ではありませんでした。iPadなら場所を取らず、SNSで発表しやすく、印刷会社への入稿もしやすいです。

ただ、デジタル特有の無機質さは避けたいと思っています。鉛筆、クレヨン、水彩のようなブラシを使っていますし、ジークレー印刷(作品を上質な紙に高精細で出力する印刷技法)を使って、見た時にも「アナログで描いたんだ」と感じられるくらいのものを目指しています。手描きのぬくもりが伝わるようにしています。

機能で分からないことは独学で調べながら、試して、直して、「これだ」と思える表現を探しています。人からは、色使いや配色に「優しさがある」「落ち着く」「整う」と言ってもらうことが多いので、そこが僕らしいのかもしれません。

これまでの活動で、大きな挑戦だったと感じることはありますか?

絵の専門的な勉強をしたわけでも、個展の開き方を知っていたわけでもない中で、「まずはやってみよう」と個展を決めたことは、大きな挑戦だったと思います。

最近では、初めて絵本を作りました。以前から構想を練り、個展を重ねながら内容を考えて、2025年の夏前頃から本格的に制作を始めました。執筆から発注し、完成した本が手元に届くまで、100日ほどかかったと思います。

振り返ると、その年の夏はほとんど遊ばずに制作していました。個展でお披露目し、読み聞かせや販売までできたので、かなりストイックに取り組んだ挑戦でした。

個展を開いたことで、どんな変化がありましたか?

初めて原宿で開いた3日間の個展には、約250人が来てくれました。普段なら同じ場所にいない人たちが集まって、僕の作品を見て楽しんでくれていました。

その光景を見た時に、25年間生きてきて、やっと自分をつかめたような感覚になったんです。

それまでモデルや家政夫など、いろいろなことをしてきました。どれも楽しんでいたし、ベストを尽くしていましたが、どこかで一時的なものだと感じていたんです。でも創作だけは、作りたいものや描きたいものがまだまだたくさんあって。これから何十年、ずっと続けていけそうだと思いました。

「自分をつかめた」とは、どのような感覚でしょうか。

絵を描くことで、まず自分が満たされていきました。表現したかったものを少しずつ形にできるようになり、日常の中に充足感が生まれたんです。

その状態で作品を発表すると、今度は作品を見た人たちも楽しみ、心を満たしてくれる。まず自分を満たし、そこからあふれたものが人を満たす。その循環が、とても自然で健全だと思いました。

以前はどこかで、自分というよりは起点が人のためだったり、「ちょっと無理をしてでも」とやっていたような感覚がありました。創作は、まず自分が喜んでから人にも喜んでもらえる。それが初めてだったから、「これかもしれない」と思えたんです。

なるほど。作家のきっかけになった家政夫の仕事は、どのような経緯で始めたんですか?

2021年頃、神奈川から板橋へ引っ越した直後に緊急事態宣言が出たんです。当時は俳優を目指してスタジオに所属していましたが、現場がすべて止まり、アルバイトも見つからず、2か月ほど仕事がない状態になりました。

どうしようかと思っていた時、以前兄から「掃除も料理も得意だから、家事代行をやれば?」と言われたことを思い出しました。まだ学生だったので、知らない人の家に入るのが怖い気持ちもあったのですが、在宅で働く人が増えれば、家事を誰かに頼みたい人も増えるだろうと思って。「じゃあ、やってみよう」と。

それに、「20代の頃は家政婦をしていた」と、いつか孫に話せたら面白い人生だなとも思ったんです。需要だけでなく、その面白さにも惹かれて始めました。

そこで触れた家庭や子どもたちの姿は、今の作品に影響していると思いますか?

影響された部分もあると思います。家族の形、子どもへの教育方針、夫婦の関係性など、いろいろな家庭を見ました。少し旅をしているような感覚で、たくさんの気づきがありました。

子どもたちの行動や、親御さんとの触れ合い方を見て、作品のアイデアを思いつくこともありました。絵本を作った時の印刷会社は、お客さんだったWebデザイナーの方に紹介してもらいました。家政夫をしていた3年半は、いい時間だったなと思います。

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「キノセイたち」と一緒に自分も成長していく

座安さんにとって、「キノセイたち」はどんな存在なのでしょうか。

半分は子どものような存在です。でも半分は、他人や友達のように、完全には分かり合えない存在でもあります。描いている中で、気づかされたり、教えられたりすることも多いです。

「自分がこの子たちを作った」という感覚がある一方で、「彼らに選んでもらった」という感覚もあります。

絵本が完成し、初めて手元に届いた時は、一人でページをめくりながら感動して泣きました。「ここまで一緒についてきてくれてありがとう」「こんなに成長したんだ」と思って。その時に初めて、親心のようなものが芽生えたのかもしれません。

絵本を作るまで、毎日この子たちと向き合ってきました。楽しい時もあれば、「何か違う」「うまくできない」と苦しくなる時もありました。幸せなことだけでも、つらいことだけでもなく、その両方を抱えながら一緒に成長していく。実際に子育てをしたことはないですが、少し似ているのかもしれないと思いました。

今の活動を、職業として何と呼ぶのがしっくりきますか?

自分でも考えているんですけど、難しいです。絵本を描きたい気持ちはありますが、絵本作家にだけなりたいわけではありません。イベントも好きですし、最近は粘土でキノセイのチョータ(イチョウの木の精)を作り始めました。

広く言えば「作家」なのかもしれません。特定のものに限らず、いろいろなものを作りたい。イベントを考えることも、現場で人の反応を見ることも好きです。

作家として活動することは、優汰さんにとってどのような意味を持っていますか?

ものを作り、発表し、それについて語っている時間が、一番自分らしくいられる瞬間なのだと思います。

今のように、自分の言葉を外に出すことで、改めて自分のことを探り、向き合うことができる。僕にとって創作は、自分を表現するだけでなく、自分自身を知り、自分らしくいられるためのものなのかもしれません。

現在は、なぜ沖縄を拠点に?

残りの20代を絵やものづくりに注ぎ込みたいと思ったんです。東京は好きでしたが、東京で暮らしながら家事代行や家事をして、その合間に描くとなると、制作に使える時間は限られてしまいます。

当時の自分に一番必要なのは何かと考えた時、答えは「描く時間」でした。沖縄の実家に戻れば、その時間をもっと増やせる。30歳までに、自分の絵本を全国の書店に並べたいという目標もあります。その目標を実現するために、今はたくさん描き、たくさん作ることを優先したい。制作に最も時間を使える場所として、沖縄に戻ることを決めました。

東京は第二の故郷のような場所です。18歳から25歳までを過ごし、今の自分に生まれ変わるために必要な場所でした。

東京で個展をすると、次につながるヒントが見つかることが多いです。さまざまな地域から人が集まる東京には、沖縄では出会えないような人もいて、そうした人たちが新しい可能性を運んできてくれる感覚があります。

自分が思い描く場所までにいくつもの扉があるとしたら、東京は、その扉を一つずつ開ける鍵をもらえる場所です。

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まだ見ぬ自分を楽しみに、ものづくり

これまでを振り返って、ご自身の成長を感じるのはどんな時ですか?

自分自身の成長を実感するのは、結構難しいです。頭の中には「ここまで行きたい」という理想があるけれど、現状はまだ遠いと感じることも多くて。

ただ、キャラクターたちは描くたびに少しずつアップデートされています。「また理想に近づいたな」「この子たち、成長しているな」と感じた時に、日々向き合っている僕も、きっと成長できているんだろうと思います。彼らを通して、間接的に自分の成長を感じていますね。

理想の半分は、「こうしたい」という形が見えています。でも、もう半分には、自分が想像もしていない形や、自然な流れの先でたどり着く場所があるかもしれないと思っていて。見えている理想を追いかけながら、まだ答えのない部分も残しています。絵を描く楽しさと、その当てのなさの両方を楽しんでいきたいです。

ものづくりは死ぬまで続けられたらいいなと思っています。これから60年、70年と作り続けられると考えたら、まだまだ伸びしろがある。自分がどこまで行けるのか見てみたいし、僕自身が一番、これからの自分を楽しみにしているのかもしれません。

創作をしていて、一番幸せを感じるのはどんな時ですか?

描いている時間も幸せですし、頭の中で想像していた以上のものができた時は、より嬉しいです。「こんなものが生まれたんだ」と、自分でも驚きます。

作品を人に楽しんでもらっている姿を見るのも幸せです。友人や親しい人だけでなく、初めて会った人がキャラクターたちを楽しんでくれていると、「あの子たち、うまくやっているな」「うちの子たち、ちゃんと愛されているな」と、少し親心のようなものを感じます。

あとは、同じような志を持つ仲間と、お互いの現在地や夢を話す時間も好きです。「いつか、みんなでこんなことができたらいいね」と話している時間は、とてもキラキラしていて、幸せを感じますね。

では逆に、活動を続ける中で、難しさを感じることはありますか?

頭の中にある理想が、毎回そのまま形になるわけではありません。何時間も描いたけれど、違うと思ってボツにすることもあります。

個展には、初めて来る人だけでなく、前回やその前にも来てくれた人がいます。その人たちにもっと楽しんでもらい、「また変わったな」と思ってもらいたい。だから、自分で前回以上のハードルを設定しています。

自分が楽しいだけではなく、見てくれた人にも楽しんでほしいし、感動してほしい。自己満足だけでは描けないと思う部分があります。

どのように、その難しさを乗り越えていますか?

前回の個展を振り返り、よかったことと改善したいことを書き出します。その上で、次に何があれば、来てくれた人の想像を超えられるかを考えます。

毎回来て、作品全体を丁寧に見てくれる人がいます。そういう人を感動させるものが作れれば、ほかの人にも届くだろうと思っています。具体的な人を思い浮かべながら、イメージして、前回を超えていくようにしています。

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「世界は楽しい」と思える絵本を残したい

これから実現していきたいことは何ですか?

まずは「キノセイたち」の図鑑を作りたいです。発表している子だけでも20数体いて、まだ発表していない子もいます。一人ひとりのエピソードも作り、シリーズとして育てたいです。

絵本もネットでしか買えないものではなく、近所の書店へ行けば手に取れるものにしたい。自分が描いた絵本を全国の書店に並べたいし、いつか外国を旅してその街の本屋に入った時、自分の絵本がその国の言葉に翻訳されて並んでいたら、幸せだろうなと思います。

時代を超えて残り、作品に触れた子どもたちに「世界って楽しいところなんだ」「これから生きていくことには希望がある」と感じてもらえるものを作りたいです。

過去の自分、活動を始めた頃の自分に声をかけるとしたら、何と言うと思いますか?

「とことん悩んで、その時々をとことん味わって」と言いたいです。

嬉しさもつらさも、きちんと味わった分だけ、後から心の栄養や創作の財産になる。悩みや苦しみを知っているからこそ、作品に説得力が生まれ、誰かの心に刺さるものがつくれるかもしれません。

だから、どんな時も目をそらさず、自分の気持ちと向き合ってほしい。でも最後はハッピーエンドだから、大丈夫だとも伝えたいです。

活動を始めてから、同世代の友人に相談されることが増えました。「本当はやりたいことがあるけれど、勇気が出ない」「どうやって決断したの」「軌道に乗ったら会社を辞めたいけれど、不安がある」といった話です。

そんな時、自分にも同じように悩み、苦しんでいた時期があったからこそ、「その気持ちは分かる」と言えます。あの頃の経験があるから、今迷っている人の気持ちに寄り添い、励ますことができる。そう考えると、悩んだ時間にも意味があったのだと思います。

ありがとうございます。これが最後の質問です。もし今の活動をしていなかったら、どんなことをしていたと思いますか?

これには、最近しっくりくる答えが出ました。僕は小さい頃からドーナツが大好きなので、まだ東京にいて、どこかのドーナツ屋で働き、ドーナツ職人をしていたかもしれません。

ドーナツ職人だったら、今の活動と同じぐらい情熱を注げると思います。個展でもドーナツの差し入れをたくさんいただくので、毎回ドーナツ天国ですね。(笑)

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