カタログのように自分の世界を積み上げるイラストレーター

カタログのように自分の世界を積み上げるイラストレーター

Lily Ongartthaworn

2026年5月3日

タイ出身のアーティスト、イラストレーター Lily Ongartthaworn。バンコクで生まれ、グラフィックデザインを学び、現在は武蔵野美術大学の博士課程に所属しています。 「自分だけのスタイル」を探し続ける葛藤や、展示を重ねる中でバーンアウトを経験。それでも彼女は、東京という“静かな白い部屋”のような場所で一人制作する時間の中に、確かな可能性を見出してきました。 クラフトデザイナー・アーティストのRoee Ben Yehudaをインタビュアーに迎え、不確実な状況でも情熱を追い求め続けるアーティストのストーリーを掘り下げます。

バンコクから東京へ:クリエイターとしてのはじまり

どのようにクリエイティブの道を歩み始めたのですか?もともとはタイ出身で、そこから東京へ移られたのですよね。

はい。私はタイのバンコク生まれで、23歳くらいまでずっとそこで育ちました。

大学ではグラフィックデザインを専攻していたんですが、正直自分には完全には合わないなと感じていました。クライアントと仕事をしていると、方向性がずれてしまったり、うまく一緒に進められなかったりすることが多くて。 自分はクリエイティブなコントロールをしっかり持てるときのほうが力を発揮できるんだと気づきました。だからデザイナーよりも、アーティストでいるほうが自分の人生の目的に合っていると感じています。

とはいえ、今でもかなりデザイナー的な思考をしていると思います。職業病みたいなものかもしれません。

私は中国系の家庭で育ちました。先祖が約100年前に中国からタイに渡ってきたんです。 でも今はタイ社会に完全に溶け込んでいて、中国語も話さないし、自分たちのことはタイ人だと思っています。

両親はふたりとも1980年代に奨学金で日本に留学していて、名古屋で出会いました。私は次女です。 父は高校のときにも日本に来ていたことがあって、家族としてかなり日本と縁が深いんです。 そのせいか、私が育つ中で身についた価値観、特にふるまい方みたいなものが、日本での生活と重なる部分が多くあります。 だから日本社会に馴染みやすいと感じることがあるんです。

父は大学で物理を教えていて、母は製薬会社に勤めています。ふたりともかなり理系タイプ。でも、子どもたちにはすごく自由にさせてくれました。 姉と私はどちらかというとアートや語学のほうに引き寄せられていて、私はアートを選びました。4歳くらいからずっとアートをやっています。 グラフィックデザインの学科に入って、完璧にフィットしているとは思えなかったけど、すごく楽しかったです。

大学在学中はたくさんの自主制作の本を出版して、いくつかはタイの大きな賞をもらいました。きっとその受賞が、日本への奨学金につながったんだと思います。 最初は修士の研究生として来日して、武蔵野美術大学で修士号を取得しました。そこでは自分で決めたテーマのもとで、たくさんの本やイラストレーションシリーズを作りました。

今は博士課程にいます。 正直なところ、従来の形の論文を書くというよりも、デザインと文化の研究そのものに興味があって。この時期を自分の制作のためのレジデンシーみたいに捉えています。 このまま日本で活動を続けて、できれば世界的な舞台にも出ていきたいと思っています。

でも、言うは易しで。同世代や年下の友人と自分を比べると、アーティストとしてまだ道の途中だなと感じることもあります。 同時に、大学時代も含めたら10年以上、このクリエイティブな道を歩んできてもいるんですよね。

アーティストか、デザイナーか?

本当にいろいろな背景があったんですね。たくさんの要素が詰まっています。 グラフィックデザインを学んで今もデザイナー的な思考は持っている、とおっしゃっていましたが、現在はご自身のことをどう表現していますか? アーティスト寄りとのことですが、今もデザインの仕事はされていますか?

今は自分をアーティストと名乗っています。でも、やっていることはある意味まだデザインと呼べるかもしれない。 違いは、自分が作るものがプロダクトとして機能しないということ。平面の絵として存在しているんです。

頭の中でプロダクトを想像して、視覚化する。でも実際に機能するものを作るんじゃなくて、ドローイングや絵画として具現化します。 本当はそれらが世界に存在してほしいと思っています。自分でも使いたいくらい。でも、実際に物として作る手段がなくて。工房に行ったり、職人を探して形にしようとはしていません。

ある時点で、頭の中から取り出して紙の上に出すだけで十分だと気づいたんです。なので、ここ数年はそれが自分の表現方法になっています。 もちろん機会があれば、少なくともひとつは実際に作ってみたいけれど、今はこのやり方を楽しんでいます。

デザイナーとしての話をすると、タイの大学を卒業してからデザインスタジオでアシスタントとして働きました。エルメスのディスプレイインスタレーションなど、遊び心のあるものを作るスタジオです。 アシスタントとして、実用的ではないけど美しいものを形にするのを手伝っていました。すごく楽しかったです。

でも、「このレストランのブランディングをお願い」とか「このメニューをレイアウトして」みたいなタイプのプロジェクトは、自分向きではないと感じていました。 もちろん楽しいときもあったけど、タイでは予算も少なくクリエイティブな自由度も低いプロジェクトが多かったので、あまり楽しめなくて。

世界にはきっとわくわくするようなグラフィックデザインの仕事もあると思います。ただ、当時の私はそういうものに触れられていなかっただけ。 それに、レイアウトやタイポグラフィは自分より上手いデザイナーがたくさんいると感じていたので、それはその人たちに任せて、自分は自分が一番得意なことに集中しようと思いました。

イラストレーション、ちょっと変だったり面白かったりするコンセプト、審美的なオブジェ、そういうものが自分には自然に感じます。 だからロゴやレイアウトの仕事はほぼやめました。きれいなウェブサイトやコーポレートロゴが必要な人には、大体友人を紹介しています。

それでも、考え方はデザイナーのまま。アーティストと名乗っていても、自分の作品はコレクションやカタログのような構造になっています。 今は「Boxes」シリーズの延長として、新しいコレクションを制作中です。このボックスを作り続けながら、棚に並べたりギャラリーのような空間に展示したりするイメージを膨らませています。

ある意味、デザインをしているんですよね。でも機能もなく、ユーザーもなく、特定の環境もない。 これはデザインなのか、アートなのか。正直、自分でもよくわかりません。

なんだかすごく近い感覚があります。僕も今レジデンシーにいて、まさに同じような思考プロセスをたどっています。 ここまでずっとクリエイターを続けてこられた理由は何ですか?どうやって成り立たせてきたのでしょうか? おそらく、「Boxes」はあまり商業的なプロジェクトではないですよね。

私が奨学金をもらったのは2021年の終わりで、日本に来てもう4年半になります。航空券も生活費も学費も、全部カバーされています。

私にとっては、すごく長いレジデンシーみたいな感覚。ある意味、今は誰かがアーティストとしての夢を支えてくれている状態です。 でもその支援にはいつか終わりが来る。それまでに、自分の活動をもっと持続可能なものにしていかないといけないんです。

ギャラリーに所属していないアーティストにとって、この道は本当に難しい。特に私みたいにまだ新しい存在には。 展覧会をひとつ開くだけでも、膨大なエネルギーが必要です。しかもその努力が収入として、時間として、あるいは注目として返ってくるかどうか、まったくわからない。

去年は3つの展覧会をやりました。正直、感情的にはあまり満足できなかったです。奨学金がなかったら、かなりリスクの高い状況だったと思います。

でも幸い、今はその支援があります。だからできる間に前に進もうとしています。 リスクが高すぎるのかもしれないけど、わからなくて。今フルタイムの仕事に就かずにいて、2年後に奨学金が終わる頃に修了できていなかったら、日本にいられる保証がない。 就労ビザもないし、アーティストビザを取るには、日本の一般的な会社員を上回る安定した収入を証明しなきゃいけない。

作品販売や展覧会やクライアントワークで継続的な収益を上げているような有名なアーティストでなければ、それはすごく難しい。 ある意味、賭けみたいな感じがします。

アーティストでいることは簡単じゃないですね。レジデンシーや奨学金は短期的に支えてくれるけど、その期間内に自分自身の道を切り開かないといけない。だからデザインの仕事も受けています。

でも、アーティストとデザイナーとアートディレクターの役割が半々みたいな、自分のアイデアやコンセプトを持ち込めるプロジェクトを選ぶようにしています。 たとえば、洋服ブランドの刺繍モチーフを作ったり、Instagramのビジュアルを作ったり、ステッカーデザインをしたり。イラストレーションベースの仕事が多いです。

雑誌のエディトリアルイラストやアニメーションも好きでよくやっています。楽しいんだけど、報酬はあまり高くないことが多いです。 そしてそれと並行して、自主制作のジンや本も作り続けています。

タイから依頼されるお仕事はありますか?

はい、タイのクライアントがほとんどです。たぶん、Instagramで私の作品を見てくれた人たちだからですね。アルゴリズムの影響もあると思います。 私のフォロワーさんの多くがタイ人の知り合いや友人で、そこからまたタイ人のつながりが増えていく、という感じです。

でも最近は、アメリカや日本のクライアントも少しずつ増えてきています。

バンコクのデザインシーンは、日本や東京と比べて文化的にどんな違いがあるんですか?

大きな違いのひとつは、日本では小規模や中規模の企業がデザイナーやイラストレーターを探すとき、かなりの頻度でエージェンシーを通すことです。 体感としては9割くらいがそうだと感じています。

もちろん、自分がまだこの環境に慣れていないからそう感じている可能性もありますが、エージェンシーとのつながりがないアーティストにとっては、仕事にアクセスするのがかなり難しい仕組みだと思います。 日本のエージェンシーは当然ながら多くの日本人アーティストを知っていて、基本的にはその中から選びます。 多くの場合、自分たちのネットワークの中で完結している印象があります。

一方でタイでは、小さなブランドがイラストを探すとき、Instagramで探してアーティストに直接連絡するのが一般的です。 エージェンシー自体は存在しますが、イラスト専門のエージェンシーはまだ多くありません。多くのイラストレーターは独立して活動しています。

また、アーティスト側からブランドに直接アプローチすることもよくあります。ポートフォリオを送り、キャンペーンやパッケージ、アニメーションなどの提案を行う。実際、私自身もそのような方法で仕事を続けてきました。

「自分の世界をつくる」という充実感

ありがとうございます。 続いて、これまでの経験の中で、「これは自分を一歩前に進めた」と感じる出来事はありますか?

自分にとって大きな転機になったのは、2020年にバンコクで開催されたバンコク・アートブックフェアです。そのとき、3冊の自主制作本を同時に出版しました。

そこで初めて、自分の作品を見てくれる人と直接やり取りをすることができました。その経験はとても大きかったです。 デザインの仕事も楽しいですが、自分が作者として世界をつくっているときのほうが、より充実感を感じると気づきました。 そのときに「自分の世界をつくりたい」という気持ちがはっきりしました。

その後しばらくはアートブックフェアに参加していなかったのですが、去年Roeeに出会ったときは、海外での参加は初めてで、しかも5年ぶりでした。 その経験もとても意味のあるもので、「やっぱり自分はこれが好きなんだ」と改めて思い出させてくれました。

会場では、多くの人が自分の作品を発表していて、特にギャラリー空間に大きなプリントが展示されているのを見て、いろいろと考えさせられました。 AIアートが急速に広がっている中で、自分の強みはどこにあるのか、と。

私はコンピューターが特別得意なわけではないので、フラットなイラストやベクター的な表現で競うことは難しい。 でも市場がそれを求めていたとしても、そこに合わせる必要はないと気づきました。むしろ、AIにはできないことに向き合うべきだと感じたんです。

私は手を動かしてつくることが好きです。もっと大きくて、空間の中に存在できるものをつくりたい。 これまでは小さなイラストを中心に制作してきましたが、去年の東京アートブックフェアで、実際に空間に展示された大きなプリントを見て、「この方向に広げていくべきだ」と感じました。

今は、ペインティングやより大きなスケールの作品制作に取り組んでいます。

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時間をかけて向き合い続けた時に、スタイルは生まれる。

これまでに、つらかった経験や失敗した出来事、そこから乗り越えて学んだことはありますか?

去年の経験が大きな学びになりました。 新年の目標として「できるだけ外に出る」と決めて、アワードや展示、フェアにできる限り参加しようとしました。それでRoeeとも出会いましたね。

やりたいものをすべてリストアップして、年明けすぐに東京アートブックフェアやスパイラルのインディペンデントクリエイターフェアなど、思いつく限りのすべてに応募しました。

でも、年が進むにつれてどんどん燃え尽きていきました。 6月頃にはもう限界に近いと感じていましたが、すでにポートフォリオを送って参加を引き受けていたので、最後までやり切るしかありませんでした。

10月に下北沢で小さな個展を開きました。 準備中、作業しながら泣きそうになっていました。次に東京アートブックフェアの出展が控えていたし、新しい作品も十分になかった。ただ走り続けるしかなかったんです。

新しいアイデア自体はたくさんありました。でも短期間で大量の新作を生み出そうとすると、体がそれを拒否するんです。結果として、過去の作品を“温め直す”ようなことが多くなり、自信が持てない状態で出してしまっていました。

10月のあのミニ展覧会では、自分の作品に満足できてはいませんでした。でも、来てくれた人たちに挨拶するために、その場にいなきゃいけない。 機会を与えてくれたことと、ホストしてくれたキュレーターにはとても感謝していたけど、もっとちゃんと新しい作品を準備できていればよかったと思っていました。

もちろん、だからといって展示をやめるわけではありません。個展を開くのは今でも私の夢です。ただ、物理的に無理なペースで自分を追い込むのは良くないと学びました。

当時は「自分を追い込んで量をこなせば、自然とスタイルが見えてくるはずだ」と考えていました。アーティストとしての継続的な悩みは、自分に明確なスタイルがないと感じていることだからです。 多くの成功しているアーティストには、一目で分かる“その人の表現”があります。でも自分には、それがまだ見つかっていないと感じていました。だから、とにかく外に出てコミットし、量をこなせばスタイルは生まれると思っていた。 でも実際は違いました。無理に燃え尽きることは、答えにはならなかったんです。

今年は戦略を変えました。 一度にひとつのことに集中すること。そして、自分に合わないプロジェクトは断ることを学ぶこと。スタジオで頭を空っぽにして、ただ手を動かし続ける時間を持つこと。

そうすれば、時間とともに自然と自分の声やスタイルが形になっていくのではないかと、今はそう信じています。

なるほど。ご自身のスタイルを見つけるというのは、Lilyさんにとってどういう意味がありますか? そして、なぜそれを見つけたいと思っているのでしょうか?

友人や教授に「自分のスタイルが分からない」と相談すると、よく「Lilyはもう自分のスタイルを持っているよ」と言われます。技法や媒体の話ではなくて、物事の考え方や語り方そのものがスタイルだ、と。 でも、そういうスタイルはポートフォリオではなかなか伝わらないんです。

外から見ると、水彩もやるし、アクリルも、色鉛筆も、彫刻も、デザインも、アニメーションもやる人に見える。つまり何でもやるけれど、「これが得意」と一目で分かる軸がない。 商業的にはそれが大きな問題になります。これで生計を立てていかないといけないし、持続可能にしなければいけない。 だからこそ、スタイルを定める必要を感じています。

以前は、スタイルがなくてもいいと思っていました。アーティストであることは、答えを探すことだったり、自分を幸せにすることだったり、やったことのないことを試すことだと思っていたからです。 でも10年間、媒体やスタイルを変え続けてきて、だんだんフラストレーションが溜まってきました。

新しい媒体を始めるのは、まるでゲームのようです。 40時間かけてレベル5まで上げても、次に彫刻に移ればまたレベル0に戻る。 それをずっと繰り返している感覚で、永遠に初心者レベルを周回しているようで、とても消耗します。

どの媒体も極めきれないままなので、物語づくりも常に基礎的な段階にとどまってしまう。「これが自分の武器だ」と言えるものがないと、より大きく一貫した世界を築くのは難しい。 自分の中には“カタログをつくる”という強い衝動があって、それは頭の中のもっと大きな世界につながっているはずなのに、媒体を変え続けることで、その世界が完全な形で現れてこないんです。

だから今は、一つのスタイルにコミットしようとしています。 でも自分はとてもせっかちで、早く良い結果を見たくなってしまう。油絵を試して最初にうまくいかなければ、すぐ別の媒体に移ってしまう。 それはまるで、深い物語を書こうとしながら、使う言語を次々に変えているようなものです。

このキャリアの段階では、「これに賭けられる」と思えるスタイルを選ぶことが必要だと感じています。 ただ、若い学生には同じことは言いません。彼らに「どうやってスタイルを見つけたんですか」と聞かれると、自分にはスタイルがないと思っているので驚きますが、「焦らなくていい」と伝えています。 尊敬しているアーティストの中には、50代で大きくスタイルを変えた人もいるからです。

そう話しながら、自分自身にも言い聞かせています。 今は自分の世界観を安定させるためのスタイルを探しているだけで、5年後や10年後にはまた変わっているかもしれない、と。

Roeeが好きなPhilip Weisgerber、私も本当に好きです。 彼がどうやって今のスタイルにたどり着いたのか気になって、作品集を買ってインタビューも読みました。

彼の20代や30代の作品は、今とはまったく違います。 人はこんなにもスタイルを変えることができて、40代や50代で代表作にたどり着くこともできるんだと知って、とても救われましたし、同時に大きな刺激にもなりました。 そこから学べることはとても多いと思います。

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もしアーティストになっていなかったら?きっと創作はやめなかった。

もしアーティストになっていなかったとしたら、どんな人生を送っていたと思いますか?

たぶん、どんな形であれ、結局はアーティストになっていると思います。文章を書くとか、翻訳とか、言語に関わる仕事をしていたかもしれません。

実は10代の頃に、少しよく分からないロマンス小説を書いて出版したことがあるんです。 今振り返るとちょっと面白いですよね。10代なんて恋愛のことをほとんど知らないのに、ロマンスを書いていたなんて。 今のキャリアじゃなかったら、どこかでテレビドラマの脚本を書いていたかもしれません。

それから、ゲームもすごく好きです。 いわゆる一般的なビデオゲームというよりは、『The Sims』みたいに家やインテリアをデザインするタイプのものが好きなんです。だから、ゲーム業界に入って家具デザイナーになっていた可能性もあります。 結局、それもひとつのアーティストの形ですよね。

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東京という、初心者のための「静かな家」

Lilyさんは、東京に来て4年半になりますよね。 東京で活動することは、Lilyさんの考え方にどんな影響を与えていますか?

今の自分は日本にいられることをとても恵まれていると感じています。 美術大学に所属しているので、工房も使えますし、画材店も充実していて、新しい素材や表現にもすぐに挑戦できる環境があります。 自分の作品を見たいと言ってくれる人がいて、応援してくれて、アドバイスももらえる。 本当にありがたい環境ですし、大学やそこにいる人たちのこともとても好きです。

アートシーンの中では、できるだけフェアやポートフォリオレビューにも参加するようにしています。環境としてはとても良いです。 ただ、それがそのまま「入りやすさ」につながるわけではありません。すでに日本には素晴らしいアーティストがたくさんいます。 でも、せっかくここにいるので、挑戦はしてみたいと思っています。

街自体もとても清潔で美しい。それはアーティストにとって心地よいことです。私たちは美しいものに惹かれるので。

タイに帰ると、「作品に前よりもレイヤーが増えた」と言われることがあります。何か繊細さが加わった、と。でもそれが何なのかはうまく説明できない。ただ「繊細で美しい」と言われます。

また、論理的思考が強くなったとも言われます。 その感覚自体はタイにいた頃からありましたが、日本に来て日本のデザイナーや教授と話す中で、より発達したのだと思います。 思考の組み立て方に影響を受けました。

それから、日本のクリエイターには独特の思考の自由さがあると感じています。もしかすると一般の人にもあるのかもしれません。 私はそれを「おもしろおかしくする自由」と表現したいです。

例えば、ご当地キャラクターやマスコット。千葉の船橋を表すのが、踊る梨だったりする。 そのような遊び心のあるものに公的なお金や仕組みが使われて、正式に成立しているというのは、すごいことだと思います。 タイではなかなか難しいのではないでしょうか。

そうした“おもしろおかしくする自由”があるからこそ、日本はある意味とても創造的だと感じます。 もちろん、その自由の中から政治的に不適切なものが生まれることもあります。でもそれも、自由があるからこそ起きることだと思います。

日本社会には厳しい枠組みもあります。ゴミの分別、服装、話し方、マニュアルなど、守るべきルールが多い。 それでも、クリエイティブの領域に入ると、アーティストにはある種のフリーパスが与えられるように感じます。

日本は制約の多い国だと言われますが、少なくともクリエイティブの分野においては、アーティストには驚くほどの自由が与えられていると思います。

面白い視点ですね。Lilyさんの個人的には、東京はどんな意味を持つ街ですか?

個人的には、東京は「初心者のための家」のような場所だと感じています。

ここに来るまではずっと家族と暮らしていて、一人暮らしを始めたのは東京が初めてでした。 一人で降り立つ場所としては、世界でもかなり恵まれていると思います。女性にとっても安全ですし、清潔で、全体的に信頼できる環境です。

例えば部屋探しでも、オンラインの写真より実物のほうが良いことが多い。そういうことは他の国ではあまりない気がします。 学生だからこそそう感じている部分もあるかもしれませんが、まるで「イージーモード」の中で生活しているような感覚があります。

期待と違うことを心配しなくていいし、疑う必要もない。 その信頼感はとても心地いいものです。

同時に、私にとって東京はとても静かな場所でもあります。 世間ではにぎやかで忙しい都市というイメージがありますが、私の体感は違います。どこを歩いていても、自分が泡の中にいるような感覚があるんです。 一人で暮らしていて、自分はここではほとんど誰にも知られていない存在だから。

そういう意味で、いつも世界に一人きりのような感覚があります。ネガティブに聞こえるかもしれませんが、私にとってはそうではありません。 信頼できる世界の中で一人でいることに、ある種の心地よさや静けさを感じています。

だから東京は、静かな初心者のための家。例えるなら、個室の病室のような場所です。清潔で、ミニマルで、少し無機質。 とても白くて、自分で自由に描けるキャンバスのような空間。

田舎の自然の中で感じる穏やかさとは違って、整えられた美しい部屋の中に一人でいるような感覚。 それが、私にとっての東京です。

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自分の世界を形にしながら生きる未来のために

独特な表現ですね。 続いて、これからの将来について、何か思い描いているビジョンはありますか?

今は、自分の“カタログ”を発展させ続けていきたいと思っています。これまでずっと箱やお皿を描いてきて、そうした作品を積み重ねていくこと自体がとても楽しいんです。

いつか、自分がデザインしたり描いたりしたオブジェの絵だけを扱うお店を開けたらいいなとも思っています。 実現しないかもしれませんが、それでもいいんです。

今の夢はとてもシンプルで、自分が見たいものをたくさん描き、それで生計を立てられるようになることです。 絵として販売するかもしれないし、展示をするかもしれないし、誰かのディスプレイやブランディングの一部として使われるかもしれません。

キャリアとしては、自分の世界をきちんと形にすることが目標です。 その世界の中に何があるのか、どう機能しているのか、どんな人がいて、どんなオブジェが存在しているのかを理解したいと思っています。

そして同時に、去年のように燃え尽きてしまわないようにしながら、ブックフェアやイベントにも参加し続けていきたいです。 無理をせず、自分の世界を少しずつ築きながら、それで生活していけるようになること。それが今の夢です。

目標を達成していなくても、幸せでいていい。

これが最後の質問です。 過去の自分、昔の自分にひとつだけ言葉をかけるとしたら、あるいは、今まさに夢を追いかけている誰かに伝えるとしたら、どんなメッセージを伝えたいですか?

「まだ目標を達成していなくても、今この瞬間、幸せでいていい」と伝えたいです。

デザイナーとして教育を受けてきたからか、いつも完成形を先に思い描いてしまうんです。頭の中で、きれいで完璧なものとして設計してしまう。 でも実際に手を動かしてみると、1回目もうまくいかないし、2回目もうまくいかない。それでフラストレーションを感じて、プロジェクト自体をやめてしまうこともあります。 それは精神的にも良くないし、アーティストとしても健全ではないと思います。

苦しさはプロセスの一部ですが、失敗を楽しむかどうかは自分で選べると思っています。 たとえ結果がうまくいかなくても、実験そのものを楽しむことはできる。下手であることを受け入れて、むしろそれを楽しめるようになること。 それを自分で訓練していくことが大切だと思います。そうしないと、長い目で見て燃え尽きてしまうからです。

これは創作だけでなく、人生全体にも言えることです。 今クライアントがいなくても、幸せでいていい。ピッチを送っただけでも、それ自体が成功だと考えていい。良い結果が出るのを待たなくても、喜びを感じていいんです。

うまくいったときだけ幸せになる必要はない。今この瞬間に、幸せでいていい。それを、過去の自分に伝えたいです。

ありがとうございます。 最後に、世界に向けて何かメッセージはありますか?

今年の5月に、スパイラル表参道で展示を行います。 昨年フェアに参加し、2位をいただいたことがきっかけで、今回その受賞者によるグループ展に参加することになりました。

今回の展示では、空間的なディスプレイ、いわゆるインスタレーションのような形を予定しています。個々の作品を販売することよりも、オブジェの配置によって構成されたひとつの“世界”を見せたいと考えています。

これからもたくさん作品を作り続けていきたいですし、何より、その作品を見てもらえたらとても嬉しいです。