カナダ出身のフォトグラファー・ビデオグラファー、Jeremy Pang。香港、アフリカ、フィリピン、そして現在は日本へ。多文化の中で生きてきた彼は、異なる価値観や日常の中にある「ささやかな美しさ」をカメラを通して探し続けています。 もともとは映画制作を志していた彼が、やがて写真という表現に惹かれていった理由。そして、「相反するものが調和して共存する街」・東京で見つけた新たな視点について。 「美しさは、与えられるものではなく、自ら見つけにいくもの」だと、写真を通して変化した世界の見え方を語ります。
自己紹介
自己紹介をお願いします。出身地や今のお仕事など、自由に教えてください。
カナダ出身のフォトグラファー兼ビデオグラファー、ジェレミー・パンです。バンクーバーで生まれ、1997年から2004年までの幼少期の7年間は香港で過ごしました。そのあと再びバンクーバーに戻って、大学を卒業するまで暮らしました。 卒業後は、いろいろな国を転々としました。エスワティニ(アフリカ南部)や南アフリカ、フィリピンにも住んだことがあります。そして一度カナダに戻ったあと、2年前に妻と一緒に東京へ引っ越してきました。 これまでさまざまな場所に住み、いろんな文化を体験できたことを本当に幸運に思っています。そのひとつひとつの経験が、「世界は自分の目の前だけじゃない」と思い出させてくれるんです。普通とは少し違う人生かもしれませんが、とても感謝しています。


きっかけ:創作へのひそかな憧れ
写真について聞かせてください。これまでの創作の道のりは、どんなふうに歩んできましたか?
子どものころ、自分のことを「クリエイティブな人」とはあまり思っていませんでした。ほかの子と同じように、絵を描いたり、落書きをしたり、物語を想像したりはしていましたが、高校時代はあまり創作的なことに時間を使っていなかったと思います。 大学に入ってからもう一度挑戦してみようと思いましたが、専攻は運動学(キネシオロジー)で、理学療法士を目指す理系の道でした。 大学に出願したとき、第一志望は運動学、第二志望を映像制作にしたんです。ただ、伝統を重んじるアジア系の家庭ではそうした選択はなかなか受け入れられません。結局、第二志望を一般理学に変更しました。 それでも、気づけば自然と写真に惹かれていきました。最初はただ「かっこいいな」と思って始めただけでしたが、続けるうちにその奥深さに気づいていったんです。 少し話がまとまりませんでしたね。整理すると、僕のクリエイティブの歩みは「写真や映像ってかっこいい」と思ったことから始まりました。大学生の頃は、自分を少しでもかっこよく見せたいという気持ちもあって、カメラがその象徴のように感じていました。 でも時間が経つにつれて、「撮る」という行為そのものに惹かれていったんです。一枚の写真で、自分が見た景色や瞬間をそのまま他の人に伝えられる。相手が自分の目を通して世界を見ることができるその感覚に強く惹かれて、気づけば写真が大好きになっていました。
最初の頃は、自分のことをクリエイティブな人だとは思っていなかったんですね。
そうですね。というより、自分に「クリエイティブであっていい」と許可を出していなかったんだと思います。もし本気でのめり込んでしまったら、もう他のことをしたくなくなるんじゃないかと怖かったんです。 アジア系移民の家庭に育つと、よく「三つの道」があると言われます。医者、弁護士、エンジニア。その中に写真家や映画監督なんて入っていません。でも本当は、グラフィックデザインをやってみたかったし、絵を描いたり、映画を作ったり、何かを生み出して物語を語ることに強く惹かれていました。それを本気でやり始めたら、もう戻れなくなる気がして怖かったんです。 同時に、両親の気持ちも理解できました。安定した職業を選び、しっかりお金を稼いで、安心して暮らしてほしいという願い。特に生活費の高いバンクーバーでは、その考え方ももっともだと思います。 だから僕のクリエイティブの道は、いつも不安と隣り合わせでした。創作を諦めれば落ち込んでしまうし、進めば先が見えない。その狭間でもがいていた時期だったと思います。
それだけのプレッシャーがあっても、始めることにしたんですね。
そうですね。親と一緒に暮らしていて、まだ経済的にも頼っているうちは、どうしても親の意見を無視することはできません。誤解のないように言うと、両親は僕を叱ったり、何かを強制したりしたわけではないんです。ただ純粋に心配していたし、僕に成功してほしかっただけなんです。 安定した道を選ぶこと自体が悪いわけでもありません。もし理学療法士や医者になっていたら、それはそれで十分に恵まれた人生だったと思います。でも、大人になって自分の時間とお金を持てるようになってからは、罪悪感を感じずに自由に挑戦できるようになりました。もちろん今でも両親の考えを大切にしていますし、今ではとても応援してくれています。 もし自分に子どもができたら、きっと僕も安定した職を選んでほしいと思うかもしれません。だからこそ、両親の気持ちはよくわかります。でも、そのプレッシャーから少し離れて、趣味として写真を始めてみたら、気づけばどんどんのめり込んでいったんです。
いろんなクリエイティブなことに興味があったとおっしゃいましたが、その中でなぜ写真が際立ったんでしょうか?
最初からそうだったわけじゃないんです。もともとは映画を作りたかったんですよ。カメラを手に取ったのも、映像を撮るためでした。 僕が北米で育った2010年代半ばって、ちょうどYouTubeがすごく盛り上がってた時期で、たくさんの人がそこに素晴らしいストーリーを投稿していました。それを見て「自分もこうやって物語を伝えたい」と思ったんです。いわゆるvlogじゃなくて、脚本を書いて、ショートフィルムを作って、人の心を動かすような映像を撮りたかった。大きな影響を受けたのは、2004年ごろに活動を始めたYouTubeグループ「Wong Fu Productions」でしたね。彼らの作品には本当に憧れていました。 でも、映像を作るのってすごく大変なんです。特にひとりだと。カメラ、マイク、照明、出演してくれる人たち……全部そろえるとお金もかかるし、準備も大変で。それで、旅をするようになってからは写真の方にシフトしていきました。映像制作よりもシンプルで、自分にはその方が合っていると気づいたんです。 今はフリーランスで写真の仕事もしていますが、あくまで副業的な活動です。日本には英語を教えるために来たので、フルタイムのクリエイターとしてやってきたわけではありません。でも、いつも何かしらのサイドプロジェクトは続けています。
フリーランスとして最初に受けた仕事を覚えていますか?
思い出に残っているのは二つあります。 一つ目は仕事ではなく、母が僕をボランティアとして紹介したときのことです。これまでに家族写真を撮ったことがないという家庭があって、母がその話を聞いて、僕に撮ってみないかと声をかけてきたんです。 当時、家族写真なんて撮ったことがなかったので、正直あまり気が進みませんでした。失敗してがっかりさせたくなかったんです。でも実際に撮ってみたら、すごく喜んでくれて。そのとき初めて、写真って贈り物になるんだと気づきました。写真を撮られる側は、その場ではただ笑ってはいチーズというだけ。でも、時間が経つとその瞬間が大切な思い出になる。そのとき僕は初めて、その思い出を渡す側になった気がしたんです。 初めてお金をいただいて撮ったのは、叔父からの依頼でした。彼の家族写真を撮ってほしいと言われたんです。 叔父はクリスチャンの宣教師で、同時に建築家でもあり、Engineering Ministries Internationalという団体で働いています。発展途上国で病院や孤児院などの建物を設計していて、その活動を支援者に伝えるための写真が必要だったんです。
建物や建築を撮ることが多いですよね。ポートレートもまだ撮りますか?
声をかけてもらったときは撮ります。僕のメインのスタイルは、建築や造形にフォーカスしたストリートフォトで、ミニマリズムや光と影の表現が好きです。もちろんその撮影だけで生活できるわけではないですが、自分が本当に惹かれるのは、やっぱりそういう写真なんですよね。
そういった被写体に惹かれるようになったきっかけは何ですか?
ストリートフォトや建築を撮るようになった理由は、正直はっきりとは分からないんです。でも、あるとき気づいたんですよ。自分は「物語を作る」よりも「物語を見つける」ことが好きなんだって。 物語を書くというのは、自分の手で世界をつくることだと思います。でもストリートフォトは、すでにそこにある瞬間を見つけるものだと思うんです。誰かが何かをしていて、その人は僕とはまったく違う人生を生きている。その人が何を考えているのか、どんな気持ちなのかは分からないけれど、その一瞬を切り取ることで、その人の人生の断片を写し取ることができる。それが特別な瞬間のときもあれば、ただの日常の一コマのときもある。 でも、どんな瞬間であっても、それはひとつの物語なんだと思います。 建築や形に惹かれる理由は、ただ純粋に「心地いい」からだと思います。線や形がきれいにまとまっているものを見ると、とても満たされるんです。少し未来的で、無機質なのに美しい。その感覚が好きで、ストリートフォトと建築写真、その両方の世界が自分の中でつながっていきました。


つくる楽しさと難しさ:思い描いた光景が現実と重なる、その瞬間を写す
次の質問です。創作の中で、いちばん幸せを感じるのはどんな瞬間ですか?
いちばん好きな瞬間は、撮る前に写真が見えるときですね。 何も考えずに街を歩いていると、ふと目に留まるものがあるんです。「ここでこんなふうに何かが起きたら、すごくいい写真になるな」と思ったとき、頭の中で一枚の絵が浮かびます。それが本当に撮れそうなら、カメラを構えて、フレーミングを考えていく。その瞬間、「こう撮りたい」というイメージが頭の中に完成するんです。実際に撮れたら最高だし、もし撮れなくても「いつかこういうシーンを撮りたい」という記憶として残ります。 光の入り方や、窓の形、建物の角度など、そういったものに惹かれることが多いです。InstagramやGoogleマップで見つけた場所を見て、ここで撮ってみたいなと思うこともあります。その、頭の中で理想の写真を思い描いている時間が、僕にとっては創作の中でいちばん好きな瞬間かもしれません。 歩いていると、その日その日で気になるものが変わるんですよね。デザインもそれに近いと思います。ある日はこのフォントを使いたくなるし、別の日は60年代っぽいポスターを作りたくなる。未来的なものに惹かれる日もある。僕の場合は、それが木だったり、自転車だったり、サラリーマンだったり、昼の光や夜の影だったりします。 その日その瞬間、自分が「いいな」と感じるものに耳を傾けること。そして頭の中で見えたイメージを、現実の写真として形にしていく。それが僕にとって、創作のいちばん幸せな瞬間です。
反対に、つらいと感じたり「もうやめたい」と思ったことはありますか?
あります。「できるからやっている」だけになってしまったときです。 ひとつのスタイル、たとえば建築写真に慣れすぎると、「成長が止まっているんじゃないか」と不安になるんです。ほかの被写体の見方が分からなくなって、写真を見る目を失っていくような感覚になります。そうなると、建築を撮る気も薄れてしまって、「自分はいったい何を撮りたいんだろう」と分からなくなる。得意なことは分かっているけれど、もっと違うものも撮れるようになりたい。でも次に何を目指せばいいのか迷ってしまう。そんなときがいちばん苦しいです。 そういうときは一度カメラから離れて、時間を置いてまた戻るようにしています。ただ完全に辞めたいと思ったことはありません。 ただ、クライアントとの関係がうまくいかないと、そう感じる人もいるかもしれませんね。もし僕がウェディングフォトを撮っていたら、たぶん自分もそうなっていたと思います。結婚式の撮影はいつも断っているんです。自分には向いていないって分かっているので。でも、いつか妻に手伝ってもらって、一緒に撮る日が来るかもしれません。 実は妻も写真を撮っています。正直、彼女のほうが上手だと思います。でも私たちのスタイルはまったく違うんです。 写真がきっかけで出会ったわけではなくて、バンクーバーの同じ教会で出会いました。どちらもクリスチャンで、高校生のグループをサポートするカウンセラーとして活動していたんです。そこで友達になって、自然に付き合うようになりました。
なるほど...もし自分のパートナーが、自分が一番大切にしていることを自分より上手にできたら、私ならちょっと嫉妬してしまうかもしれません。
僕たちは、スタイルがまったく違うのが助けになっていると思います。デザインの世界にも、イラストやグラフィック、タイポグラフィ、組版、印刷など、いろんな形がありますよね。きっといくつも手がけるけれど、その中でも特に好きな分野があると思います。もしパートナーが自分とは違うスタイルで優れていたら、その表現を試してみたくなるし、そこから学べる。僕たちは、そんなふうにバランスを取っているんです。 ときどき彼女の撮った写真を見て、「自分もこの瞬間を見たかったな」と思うことがあります。それから同じように見ようとして、彼女が何を見ているのかを感じ取ろうとする。そこには少しのうらやましさもあるけれど、それ以上に深い尊敬があります。彼女は僕とはまったく違う世界の見方をしている。だからこそ惹かれたし、耳を傾けるし、結婚したんです。尊敬できない人とは、きっと結婚していません。 尊敬しているから、今も彼女から学び続けています。スタイルも視点も違うからこそ、自分の成長につながる。今の僕の写真の多くは、彼女からの影響を受けています。以前の僕はもっと型にはまった、形式的な撮り方をしていました。でも今は、少しずつ写真の表情を柔らかくする方法を学び、人への向き合い方も変わってきた。それは、妻から深く教わったことです。


価値観の定義:まだ知らない美しさを見つけること
少し概念的な質問なんですが、写真はあなたの人生にどんな影響を与えましたか?撮り始めてから、どんな変化がありましたか?
写真を撮るようになってから、世界をより前向きに見るようになりました。もともと悲観的だったわけではないけれど、「見過ごされている美しさ」を探すようになったんです。 僕たちは子どもの頃から「何が美しいか」を教えられて育ちますよね。花や山、映画に出てくる俳優や女優、そういうものが「美しい」と。でも、それがすべてじゃない。まさか自分が、コンクリートの建物を見て「きれいだな」と思うようになるなんて、昔は想像もしていませんでした。でも、見方を変えると、それも視覚的にとても心地いいんです。 10代のころは、コップなんてただのコップでした。水を入れるためのもの。それだけの存在でした。でも今は、たとえばこのKintoのコップを見て、「なんて美しいんだろう」と感じるようになったんです。美しさの感じ方は、成長するにつれて、そしてそれを探そうとすることで変わっていくと思います。与えられた美しさは、そのまま受け取るもの。でも、自分で美しさを探し始めると、新しい種類の美しさに出会える。そして、自分にとって何を「美しい」と感じたいかを、自分で選べるようになるんです。 好きじゃない食べ物も同じかもしれません。ほかの人が美味しそうに食べているのを見て、自分も少しずつ試してみる。するとある日、「あ、意外と美味しい」と感じるようになる。僕はいまだに納豆の練習中ですけど(笑)。 だから、写真は僕の人生の中で「新しい美しさを探す力」を育ててくれたんです。生きていく中で、いろんな美を見つける目を与えてくれました。
Jeremyさんの話から、すごくポジティブなエネルギーを感じます。
そうありたいと思ってます。でも本当のところ、僕はけっこう皮肉っぽかったり、自分に厳しかったりするんです。だから「ポジティブでいること」って練習なんですよ。意識して、努力し続けるものです。 最近の世界は、いろんな理由で重く感じます。そんな中で、人々がどこに喜びや美しさを見つけようとしているのかと考えることがあります。つらい状況の中にも美しさを見いだせる人がいて、そういう人をすごいなと感じます。なので自分の中にもそういう美しさを探してみることや、それがどこから来るのか、を考えることを大事にしているんです。


日本や東京への想い:古さと新しさが並び立つ街
東京についてどう思いますか?あなたにとって、どんな場所ですか?
東京は、来るまでは少し謎めいた場所だと思っていました。僕は香港で育ったのですが、2000年代の初め頃、周りの人たちは東京に行くといえばディズニーランドやディズニーシーでした。僕が知っていた日本は、ポケモンとかボンバーマン、ガンダム、アニメといったメディアやおもちゃの世界でした。頭の片隅では「ソニーって日本の会社なんだな」と思っていたくらいです。 日本は、気づけば自分の人生のいろんな部分に関わってきた国だと思います。東京のことはずっと聞いていたけれど、実際に来ることになるとは想像していませんでした。ところがある日訪れてみたら、「ここは本当に面白い場所だな」と感じたんです。多くの人は東京を未来的だと言います。確かに新幹線なんて本当にすごいですよね。でも一方で、いまだにファックスやフロッピーディスクを使っている人もいる。そんな新しさと古さが共存しているところが、東京の面白さだと思います。 だから東京は、僕にとって「レトロ・フューチャー」な街です。感覚的にはまだ1980年代にいるようなところもあります。歴史や文化を感じるお寺があれば、スカイツリーのような現代的な建物もそびえている。ファックスと新幹線が同じ社会の中で共存していて、正反対のものが不思議とうまく噛み合っているんですよね。 今は高校で働いていますが、生徒たちの英語力はそれほど高くありません。それでも街には外国人観光客が多いです。でも、中心部を離れると英語を話す人はぐっと減ります。東京は本当に対照的なものが詰まった場所です。矛盾しているようでいて、その違いがうまくバランスを取っているからこそ、成り立っている街なんだと思います。
なんだか哲学的ですね。東京、あるいは日本に移住する決断は大変でしたか?
実は、それほど難しい決断ではなかったんです。僕はこれまで、もっと大したことない理由でいろんな国に移ってきました。チャンスがあれば「行ってみよう」と思うタイプで、もしうまくいかなかったとしても、最悪また帰ればいい。結局どんな結果でも、何かは学べるんですよね。 東京は最初からとても魅力的に感じました。写真を撮る者として、日本は本当に刺激的な場所です。撮りたいものがありすぎて、クリエイティブな感覚が満たされるんです。 妻はこれまで一度もカナダ以外に住んだことがなかったんですが、旅行と「暮らす」はまったく違う経験ですよね。だから結婚を機に、一緒に東京で暮らしてみようと決めました。 結婚したのは2023年の3月、そしてその年の8月に東京へ引っ越してきました。
日本はどちらかというと単一文化的で、英語を話す人もそれほど多くはありません。それでも不安がらずに来てくれたのは、すごくうれしいことだと思います。
誰かと一緒に来ると、やっぱり楽ですよね。ひとりじゃないだけで全然違います。 もし自分が一人でワンルームに住んでいたら、けっこう孤独を感じていたと思います。料理をするスペースもなくて、毎日吉野家で食べてたかもしれない。実際、そういう生活をしている人も少なくないですよね。僕は妻と一緒に来たので、寂しくなったら隣の部屋に行って話すことができるのはとても心強いです。


これからの道のり:誰かの物語を形にする
次の質問は少し違う角度からになります。あなたは「物語を伝える人」として、どんな目標を持っていますか?そして、その先にどんな未来を思い描いていますか?
思い描ける限りの目標は、「幅広くものづくりができるクリエイティブな人」になることです。カメラに関わることならほとんど何でも、あるいはデザインの仕事でも、頼まれたときに安心して引き受けられるようになりたいと思っています。最近はアパレルブランドのために映像と写真を撮って、さらにルックブックのデザインも担当しました。その過程でグラフィックデザインについてもかなり学びました。 正直まだ難しいと感じるし、慣れていない部分も多いです。 でも、最終的には「これを作りたい」と言われたときに、「どうやってその物語を伝えようか」と考えて、自信を持って提案できるようになりたいです。 映像でも、シネマトグラフィーでも、写真でも、自分が思いついたことを形にできるようになりたいんです。
クリエイティブディレクターのような存在ですね。では、「未来のクリエイティブディレクター」として、夢のプロジェクトを挙げるとしたら?
そうですね。以前、ロサンゼルスの小さなアパレルブランドでクリエイティブディレクターをしていました。ちょうど今日、そのブランドの動画を完成させたところなんです。 夢の仕事でいうと、僕のこれまでの仕事の流れにもつながる話なんですが、日本に英語教師として来る前はファッションの仕事をしていました。もともとは服をデザインしたいと思っていたんです。今は友人が服を作っていて、いつかその友人と一緒にコレクションを手がけてみたいと思っています。服のデザインからルックブック、そしてキャンペーンのビジュアルまで、最初から最後まで全部自分たちでつくるようなプロジェクトをやってみたいです。
自分のブランドを立ち上げたいと思うことはありますか?
必ずしも自分でブランドを立ち上げたいわけではないんです。正直、それは少しハードルが高く感じますね。それよりも、すでにストーリーを持っている誰かと一緒に仕事をしながら学んでいくほうがいいと思っています。人をサポートしたり、ときにはその人の負担を自分が引き受けたりするのが好きなんです。いつか、自分が本当にインスピレーションを感じたときに、たまに一着だけデザインする、そんな形でもいいかなと思っています。


届けたいメッセージ
最後の質問です。キャリアを始めたばかりの自分に、今のあなたならどんな言葉をかけますか?
「怖がらずに、“自分の好きじゃないこと”を見つけていけ」と伝えたいですね。たくさんのことを試してみて、その中で「これは違うな」と気づくことにも価値がある。多くの人は「これが正しい道じゃなかったらどうしよう」と不安になって、なかなか始められないけれど、実は“向いていないと分かること”も大事なんです。 たとえば「ゲームを作る仕事をしてみたい?」と聞かれたら、響きはかっこいいけど、実際にコーディングや3Dモデリングをやるのは自分には向いていないと分かっている。そういう発見があるからこそ、自分の“好き”がはっきりしていくんです。 それから、「今のやり方でいいや」と思わずに、常に新しい方法を探すこと。もし探してみて「これ以上の方法はない」と分かったなら、それが本当に自分の最善の形だと胸を張れる。だからこそ、挑戦し続ける姿勢が大切だと思います。 そして何より、自分にも、周りの人にも、もっと優しくあること。それが、昔の自分にいちばん伝えたいことですね。
なるほど。昔の自分は、自分に厳しすぎたと思いますか?
そうですね。自分に対してすごく高い期待を持っていたんです。そしてその分、他の人にも同じように求めてしまっていました。人にもっと寛容であるべきなのに、いつもどこか焦っていて。それは、結局のところ「自分が思うように上手くできていない」という苛立ちを、自分自身に感じていたからだと思います。
今は、その考え方も少しずつ変わってきていますか?
そう思います。よく、「上手くなりたい」と言う人がいますが、そもそも何をもってうまいと言えるのかは難しいですよね。 10キロを走るみたいに、ゴールがはっきりしているわけではありませんし。 うまくなりたいのは、何のためなのか。 その力で何をしたいのか。誰を助けたいのか。まだ世の中にない、どんなものを生み出したいのか。そういう目的が見えたときに初めて、そのための技術や考え方、強さが身についたと言える。そのとき、「その目的のために十分な力を持っている」と胸を張れるようになるんだと思います。


Follow and connect with Jeremy Pang below...
