UMU Tokyo

umu(うむ)は、東京にゆかりのある国内外のクリエイターにインタビューし、そのリアルな声や生き方を日英バイリンガルで発信するインディペンデント・メディアです。

自分に賭ける。デザインとアートの旅の中で強さを見つける

Roee Ben Yehuda

2025年10月30日

自分に賭ける。デザインとアートの旅の中で強さを見つける

木工、陶芸、レザー、グラフィックデザインとジャンルを越えて制作を続けるクラフトデザイナー・アーティストのRoee。彼にとってインスピレーションとは「複数のクラフトを橋渡しすること」。東京の職人文化や伝統から学びながらも、自分の解釈を加え、新しい命を吹き込む作品を生み出しています。念願の東京での展示をきっかけに、「東京を吸収する側」から「東京へ与える側」へと変化したというRoee。その哲学とものづくりへの情熱を辿ります。

自己紹介

最初の質問です。自己紹介をお願いします。

Roeeです。初めて日本に来たのは2016年で、1か月ほど旅行で滞在しました。 最初はスケートボーイとして、グラフィティをやっていました。これが、創造の世界に入る最初のきっかけだったと思います。ですが、すぐに気づいたことがあって、グラフィティの「違法な落書きとしての側面」はあまり好きではなかったのです。街中で違法に描くという部分ではなく、文字やタイポグラフィが好きだったんだと気づきました。 スケートでも同じでした。スケート自体は好きでしたが、実はボードに描かれたアートや、使う靴のデザインの方が気になっていたんです。当時ギターも弾いていましたが、そのときも「このギターはどんなデザインか」の方が気になっていて、「最高の音が出るギターかどうか」にはあまり関心がありませんでした。 子どもの頃から、何かに取り組むときは常にデザインに意識が向いていました。18歳頃に独学でグラフィックデザインを始め、その後、新聞社や雑誌でグラフィックデザイナーとして働きました。その時期に「ウェブデザインより印刷物が好きだ」と感じるようになりました。 そして、陶芸も学び始めました。「3Dのものに触れて作りたい」という気持ちがあったからです。そこからプロダクトデザインへ進み、さらに工業デザインの学位を取りました。 現在は、時々グラフィックデザインの仕事もしていますが、家具が好きで、陶芸はもう10年以上続けています。そして本当に信じているのは、「好奇心さえあれば、できないことは何もない」ということです。今でも好奇心を持ち、自分の表現言語を作り続けています。

きっかけ

陶芸はどんな経緯で始めたのですか?

正直に言うと、自分でもよく分からないんです。よくあるパターンですが、「なぜそれを始めたのか分からないまま始めた」という感じです。日本に来たのもそうだし、事前にどこへ行くか調べもしませんでした。ただ「行こう」と思って来ただけです。 陶芸も同じで、私が働いていた職場にいた人の彼女のお母さんが陶芸の先生で、「行ってみれば?」と言われたのがきっかけだったと思います。実際にやってみたら、すぐに夢中になりました。友人たちは「子どもの頃に陶芸をやったよ」と言っていましたが、クリエイティブやアートは私の周りの環境にはなかったので、一度も触れたことがなかったんです。だから、人生で初めて手を使って何かを作る体験をしました。 私が作った最初の陶芸作品は、レザー(革)を組み合わせていました。その最初の陶芸作品が、日本の雑誌や海外の雑誌にも掲載されたんです。「作ったものが認められる」ということに驚きました。グラフィックデザインの仕事は、紙面で名前が出ることもなく匿名性が高いですが、陶芸では最初の作品から反応がありました。「認められることで、さらに積み上げていける」と感じたんです。

それはすごいですね。雑誌からはどのように連絡が来たのですか?

最初は自分から1つの雑誌に送ったんです。そしたら他の雑誌からも連絡が来て、広がっていきました。2018年に TABI LABO に大きな記事が掲載されました。偶然のようなもので、何も計画していなかったのに、ただ送ってみたら反応があったという感じです。

やってみることが大事ということですね。先ほど独学でグラフィックデザインを学んだと言っていましたが、どうやってスキルを身につけたのですか?

雑誌の仕事に就いてチームに配属された時、希望するポジションを聞かれました。私は何も知らないのに「グラフィックデザイナーになりたい」と言ったんです。消耗する場所より、創造できる場所にいたくて、とりあえずそう言ってみました。 実際には何も知らないのに、いろんな人に「僕はグラフィックデザイナーです。得意です」と言ってまわりました。そして時間はかかりましたが、最終的にグラフィックデザインを扱う部署に配属されました。 そこへ着いた初日、上司に「次の新聞の誌面レイアウトを作って」と言われました。でも私は本当に何もできなくて、上司に「君はまったく分かっていない。明日までにできるようになって戻ってこい」と言われたんです。 その日、バスを降りてから家まで走って帰り、部屋に入ってから朝まで一度もコンピューターの前を離れませんでした。YouTubeで InDesign と Photoshop のチュートリアルを片っ端から見ました。そして翌日、学んだばかりのことを使ってなんとか作業をしました。 上司は Blue Note Records のレイアウトなど、たくさんの良い参考例を見せてくれて、「こういうのが良い」とだけ言いました。なので正式にデザインを学んだことはありません。常に「やりながら覚える」方法でした。 今でも、まだ出会っていないことについては知りません。でも、やり続けることで学べると思っています。

本当に命がけの「一晩で覚える」状況だったんですね。その経験を経て、いろいろな会社で働いて、今はご自身をアーティストと呼びますか?

自分では、デザイナーの方が近いと思っています。グラフィックデザインや家具、他の素材やオブジェクトなどを扱うので、「デザイナー」が自分を一番表していると思います。ただ、工業デザインは機能性が必要ですが、私は機能よりコンセプトを重視して作ることもあります。なので、デザイナーとアーティストの間にいる感じですね。

きっかけ
きっかけ

創作や仕事のこと

Roeeさんの日常について聞きたいです。忙しいですか?朝型か、夜型ですか?

全然朝型ではないですね。今はまだ勤務している会社の仕事もあるので、時期によって生活のリズムが違います。展示の準備があるときはそちらに全力で時間を使いますし、常にやりたいことや作りたいものがたくさんあります。 ただ、やりすぎないように気をつけています。ずっと作業し続けても、インスピレーションは枯れてしまうからです。フリーマーケットに行ったり、良い展示を見たり、自然に出かけたりすることが大事です。 夜遅くや週末も働くことはありますが、健康であること、人生にインスピレーションがあることが重要です。自分の作品は「幸福感」が存在するものにしたいから、 心が曇っている状態では良い作品は作れないと思っています。

Roeeさんのインスピレーションの源はどこから来ますか?作品のシリーズごとに特徴がありますよね。

アイデアは常に、作ってきた作品の数より多くあります。時間とリソースが足りないんです。私は「インスピレーションが湧いたから作る」という進め方ではありません。自分のスタジオもまだありません。家具を作ったら次は陶芸、その次はグラフィックデザイン、という感じで、全く違うジャンルに移ります。 もし毎日同じことをしていたら、きっと飽きてしまうと思います。なのでいつか自身のスタジオを持ちたいですが、そこには木工、陶芸、レザー、印刷ができるスペースが共存しているイメージです。 私にとってのインスピレーションは、「複数のクラフトを橋渡しすること」です。私は伝統的な手法を使うことが多いですが、そこに自分なりの解釈を加えるようにしています。レザーならレザーの、家具なら家具の、陶芸なら陶芸の「本来の作り方」を理解した上で取り組むんです。陶芸では化学的な知識も学び、素材の振る舞いを理解しようとしました。 「自分はまだ初心者だ」という姿勢を大切にしています。「全て知っているふり」をしないこと。伝統や知識に対して敬意を持ち、学んだことに自分の視点を加え、そこから枝分かれしていくこと。それが、今の私をここまで導いたと思います。 私は、他のデザイナーに自分の作品を気に入ってもらいたいとはあまり考えていないんです。目の前で作品を楽しむ人たち、つまり一般の人に向けて作っています。伝統の延長線上に自分の枝を生やして、既にあるものに新しい光を当て、それを人に見せたいと思っています。

謙虚なんですね。

ユニークなものを作っているとは思っています。でも同時に、自分で「マスターだ」と名乗りたくありません。真の熟練にはとても時間がかかると思うからです。日本の職人のように、何歳になっても同じ技を磨き続けるような、そういう姿が本当のマスターだと思います。

クリエイティブなキャリアを歩むなかで、きっとリスクや大きな決断があったと思います。どうやって決断をしていますか?

デザイナーは一人では働けないと思っています。信頼できるコミュニティ、アドバイスをくれる仲間、経験豊富なメンターが必要です。 そして最後は直感です。「こうすべき」というルールはありません。デザインは視覚的なものなので、正しいかどうかは見たときに分かります。判断に迷ったときは、一度作品を放置して、翌日また見直します。すると全く違って見えることがあります。 あと、シャワールームにノートを置いていて、シャワー中に浮かんだアイデアをそこに書いているんです。

創作や仕事のこと
創作や仕事のこと

つくる楽しさと難しさ

それはいいアイデアですね。では次の質問です。クリエイティブプロセスの中で、いつが一番幸せですか?

完成した瞬間です。プロセスを信じる、なんてよく言いますが、私は全く信じていません。制作中は不安だらけです。うまくいくのか、理解されるのか、反応はどうか。特に私は「機能性よりコンセプトを求めるデザインアート」をしているので、余計に不安です。 完成した瞬間に、「これは良い」と直感で分かります。そしてそこからまた次の作品が始まるんです。

逆に、辞めたいと思ったことはありますか?

何度もあります。作品を作り、それを人に理解してもらう必要がある。これはとても大変ですなこと。もしこれを仕事と捉えているなら、続ける価値がないと感じるかもしれません。でも、私にとっては、これは仕事ではなく「人生」です。他にできることなんてない。だから、辞められません。

つくる楽しさと難しさ
つくる楽しさと難しさ

価値観の定義

Roeeさんは「作品を作るのは人生そのもの」と言いましたね。あなたが本当に情熱を感じているものは何ですか?

物語を伝えることです。人を自分の世界に連れてくること。私は以前、形や色、質感、クラフト、知識に情熱を持っていると思っていました。もちろん今も好きですが、もっと大事なのは、「作品を通して人とつながること」だと思っています。 完全なアーティストなら、自分のために作ります。でもデザイナーは「人のために作る」。私はその中間にいます。「自分の世界と言語」で作りながら、それを他者に伝え、共感してもらう。椅子のような日常的なオブジェクトでさえ、ただ美しいだけではなく、人に何かを感じてもらえる。デザインとアートの力はそこで重なります。

クリエイティブ業界に入る前の過去と現在を振り返って、何が最も変わったと思いますか?

幸せになりました。とても大変なこともありますが、自分に賭けることほど良い気持ちになれることはありません。「自分に賭ける」というのは、すべてのカードを自分に置くということです。以前は大きなシステムの中の小さな歯車で、指示されたことをしていました。でも今は自分で舵を取り、自分の人生を進めている。それが自分を生き生きさせ、強くしてくれました。

日本や東京への想い

「自分に賭ける」という言葉、とてもいいですね。記事のタイトルに使いたいかもしれません。では、次の質問です。東京はRoeeさんにとってどんな場所ですか?

東京には、私が訪れたどの場所にもない量の知識と専門性があります。興味があることがあるなら、東京に行けば必ず「その道に人生をかけている人」が見つかります。 靴作り、グラフィックデザイン、家具、陶芸。もしそれが好きなら、東京には世界でも最高の人たちがいます。この街はとても大きく、尽きないほど深い層があって、歩くたびに新しい発見があります。 そして、私はずっと「いつか東京で自分の作品を展示したい」と夢見ていました。それが今、現実になっています。

展示について教えていただけますか?

はい。今年、Design Art Tokyo(デザインアート東京)で作品を展示します。毎年開催されるデザインフェアで、今年のメイン会場は渋谷の PARCO に近い場所です。私は「セラミック(陶芸)と革」を組み合わせた作品を展示します。この組み合わせを始めたのは10年前で、理由は自分でも分かりません。ただ、直感でした。 今回の展示作品のタイトルは「Kawatsugi(革継ぎ)」です。金継ぎの革バージョンです。壊れた陶器を革の技法で修復します。日本の陶器を販売している店と協力し、配送時に破損してしまった陶器を譲り受けて制作しました。本来は捨てられてしまうものでした。 金継ぎという日本の伝統を尊重しつつ、「私は日本人ではないから、本物の金継ぎをまねることはしたくない」と思いました。代わりに、自分の方法で価値を加えたいと考えたんです。 陶器自体は特別な高級品ではありません。でも、誰かの手が作ったものです。壊れたからと捨てられてしまうのは悲しい。だから敬意を込めて、新しい命を与えるんです。

作品に込められたリスペクトがとても美しいですね。

私は長い間、東京に来るたび「吸収する側」でした。インスピレーションをもらって、学んで、持って帰るだけ。でも今回初めて、「与える側」に回れた気がします。この街から受け取ってきたものに、少しでもお返しできたら嬉しいです。

日本や東京への想い
日本や東京への想い

これからの道のり

これから先、どんな未来を目指していますか?Roeeさんが思い描く「遠い未来の自分」はどんな姿ですか?

これからはもっと、コラボレーションに力を入れたいです。自分一人で習得できることには限界があって、誰かと協力することで初めて到達できる領域があると思っています。クラフトマンや工場、ワークショップなど、正しい人や場所との出会いが必要です。 そして「⚫︎年後の自分」を具体的に計画するつもりはないんです。人生は計画しても、その通りにはいかないからです。ただ、次の10年は「全力でやりきる時期」だと思っています。やって、挑戦して、止まらずに進む。どこかに落ち着くかもしれないし、ひとつの分野を極めるかもしれない。でも、「面白い」と思える方向へ進むつもりです。

届けたいメッセージ

では、最後の質問です。昔の自分、まだ進むべき道が分からなかった頃の自分に何か伝えられるとしたら、何と言いますか?

私は学生や若いクリエイターに会うたび、いつも同じことを伝えます。「他人がやっていることを真似しないで、自分がやりたいことをやれ。」 成功のレシピを探すのはやめたほうがいいです。他人の道を追っても意味がありません。唯一の成功パターンは、「自分の声でつくること」です。結果がすぐ出なくても、諦めずに続ければ必ず成功します。 自分の声を失う瞬間、それが最も危険です。他人の意見や、「もっとこうすればうまくいくかも」という声に流されると、自分の道から外れてしまいます。 「自分を信じること。」これが一番難しいけれど、一番大切です。唯一の成功は、「自分の信じていることを最後まで貫くこと」です。

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