UMU Tokyo

umu(うむ)は、東京にゆかりのある国内外のクリエイターにインタビューし、そのリアルな声や生き方を日英バイリンガルで発信するインディペンデント・メディアです。

アドリブで生きる:ダンス、デザイン、そしてつながりをめぐるクリエイティブな旅

Ryota

2025年9月8日

アドリブで生きる:ダンス、デザイン、そしてつながりをめぐるクリエイティブな旅

ダンスを出発点に、デザインやファッション、映像作品まで多彩に表現するアーティスト・Ryota。16歳でアメリカに渡り、約8年を過ごした経験は、彼の価値観と創作活動を大きく形づくりました。マイケル・ジャクソンに衝撃を受けて始まったダンスは、自信を与えてくれる言語となり、やがてPIBE(Play It By Ear)というブランドへと展開。常に“アドリブで生きる”という姿勢で、自分の表現を広げてきました。人とのつながりを何より大切にし、作品を通じて「感じてもらうこと」に挑み続ける彼の物語を追います。

自己紹介

自己紹介をお願いします。

Ryotaと申します。肩書きをつけるなら「アーティスト」と言えると思います。 出身は埼玉ですが、16歳のときにアメリカに留学して、高校はそちらで過ごしました。その後も大人になってから5年ほどアメリカで生活していて、日本に戻ってきたのは2024年と、つい最近なんです。 ずっと創作活動を続けてきました。私にとって一番大きい表現手段は「ダンス」です。まさに言語のひとつという感覚ですね。あとはデザインや写真、紙を使った表現などもやっていますが、メインはやはりダンスとデザイン。この2つが、自分の一番大きな“言語”だと思っています。 デザインについていうと、グラフィック寄りになるんでしょうか。私は「PIBE」というブランドを運営しています。名前はPlay It By Earという言葉を縮めたもの。直訳すると「アドリブで行こう」という意味ですね。ただ「スタイリストです」と胸を張って言えるほど専門的ではないです。プロの方に比べたらまだまだですが、服づくりやファッションもすごく好きなんです。

きっかけ

その活動は、どこから始まったんですか?

一番最初をたどると、やっぱりダンスです。私はマイケル・ジャクソンが大好きで、11歳のときに初めて彼のパフォーマンスを観て、その瞬間に強烈に心を奪われてしまいました。 そこから「ダンスをやりたい」と思うようになり、英語を学びたい、留学したいと繋がっていきました。服もずっと好きでしたが、それは親の影響も大きかったですね。結局、ダンスを軸にさまざまな表現の扉が開いていったんです。

マイケルの魅力って、どんなところにあったんですか?

難しいですね…でも本当に、私にとってはスーパーヒーローみたいな存在でした。子供の頃、スパイダーマンを観たら真似したくなるじゃないですか。それと同じ感覚で、マイケル・ジャクソンになりたかった。彼はダンスも歌もパフォーマンスも、全部に愛を込めていて、観ている人の心を掴んで離さない。今でもなりたいくらいです。

そこからアパレルの方へもつながっていった?

そうですね。アパレルは「着るのが好き」から始まりました。コロナのとき、ちょうどロサンゼルスにいたんですが、ダンススタジオが一斉に閉まってしまったんです。そのとき、「やりたいことを全部やろう」と思いました。カリフォルニアは何でも挑戦できる環境で、Tシャツだって作れるじゃん、と。 それでiPadを買ってきて、自分で描いたものをプリントしてみたり、独学でデザインを始めました。そこから2020年にブランド活動がスタートしたんです。といっても最初は大きな規模ではなく、最初は道端で売ったり、ちょっとしたお店にお願いして置いてもらったり、そういう形で少しずつ広げていきました。

怖さはなかったんですか?

不思議なことに、カリフォルニア・ロサンゼルスっていう場所が「何でもあり」の環境なんですよ。みんな好きなことを自由にやっている。日本だと「一つのことを極めなきゃ」という空気がありますよね。でもアメリカは違う。 例えば、部活動もシーズンごとに変わるんです。夏はアメフト、冬はバスケ、という具合に。だから「一つに絞らなくてもいい」という文化があって、むしろ色々やるのが当たり前。ロサンゼルスはその中でもさらに自由度が高くて、私も「ダンスだけじゃなくていい、やりたいことは全部やろう」と思えるようになりました。

なるほど。そもそも高校で海外に行こうと決めたこと自体がすごいですよね。

そうですね。ちょうど日本の高校受験の時期で、母に「本当はどこへ行きたいの?」と聞かれたんです。そのとき私は「マイケルが好きだからアメリカに行きたい」と答えました。そしたら母が「じゃあ頑張りな」って背中を押してくれたんです。母が結構ファンキーだったんですよね(笑)。

実際に「アメリカの高校に行く」と決まったときは、どんな感情でした?

正直、そのときはあまり覚えてないんですけど…20歳の成人式のときに、ふと思い出しました。地元・埼玉の友達はすごく良い仲間たちだったんですが、「このままここにいてはいけない」という感覚があったんです。ワクワクもあったけど、同時に「ここにいたら自分は閉じ込められてしまう」と思った。その感覚が強かったですね。

16歳で不安はなかった?

何も知らなかったから、逆に怖さもわからなかったんです(笑)。だから無鉄砲に飛び込めた。でも渡米初日の夜は本当に緊張しました。次の日から英語だらけの高校に編入ですからね。あの夜ほど緊張したことは、人生で他にありません。

行動力の源って、どこから来ているんでしょうか?

浮かんだアイデアを実現したい、その一心ですね。評価されたいとか「いいね」が欲しいとか、そういうことじゃないんです。自己満足かもしれないけど、とにかく自分の中に湧いたものを形にしたい。「誰もやったことがないこと」や、少なくとも「自分がまだ見たことのないもの」をやりたい。ただそれだけです。

今までで一番“クレイジーなアイデア”ってなんですか?

毎回新しいことをやってるつもりですが、ひとつ挙げるなら今年の5月に出した「Have You (Really) Heard From Me?」の動画作品ですね。10本で1時間ほどの映像なんですが、自分の言いたいことをすべて詰め込みました。理解されるのに時間がかかるかもしれないし、観る人の体力も要る作品だと思います。でも、それは私にとって“自走できる作品”です。

観た人には、どういう気持ちになってほしいと思って作ったんですか?

正直に言うと「こう感じてほしい」という意図はなかったです。ただ、何かしらを感じてくれたらそれでいい。嫌いでもいいんです。「何これ、腹立つ!」でもいい。強い感情って、プラスでもマイナスでもエネルギーになると思うので。 理想を言えば、その感情から「何かやってみよう」「これを書き留めてみよう」と行動に繋がってくれたら最高です。

作品に対して、かなりストイックですね。

そうですね。ブランドに関しては、私が直接思いを伝えないと広がらない部分があります。でも映像作品は違う。その場に私がいなくても、作品そのものが伝えてくれる。だからこそ、自走できるものを作れたという実感があるんです。

つくる楽しさと難しさ

最初に売れた商品って覚えていますか?

はい。最初に作ったTシャツを、ロサンゼルスで初めてストリートに並べたときのことは今でも鮮明に覚えています。黒人のお父さんと小さな男の子が「何してるの?」って声をかけてくれて。「今日が初めての販売なんだ」と答えたら、「素敵だね、1枚買うよ」と言ってくれたんです。親子で買ってくれたその瞬間は、一生忘れないと思います。 しかもそのお父さんは理科の実験器具を作る職人さんで、私とは全然違う世界で仕事をしてる人。でも「君が好きでやってるならそれが一番だ」と言ってくれて。そういう言葉も含めて心に残っています。

“人との出会い”は、今の活動にとって大きな意味を持っているんですね。

そうですね。私にとって一番幸せなのは「繋がり」が生まれたときです。売れるかどうかよりも、友達ができたり、お金じゃ買えないものが生まれることの方がずっと大切。 外から見ると私は社交的に見えるかもしれませんが、実はかなり内向的なんです。心から気を許せる友達は数えるほどしかいません。でもだからこそ、そういう関係はとても貴重だと思っています。

だからこそ、人との繋がりが活動の原動力になるんですね。

はい。数が多ければいいというわけじゃない。けど、心が動く瞬間に出会えたら、それだけで幸せなんです。

先ほど「幸せな瞬間」を伺いましたが、反対にこれまでの活動の中で「もう無理かもしれない」と感じたことはありますか?

そうですね。やめたいと思うほどではないんですけど、「ちょっとノイズかな」と思った経験はあります。最近だと、とあるフェスに出展したときですね。たくさんのベンダーがブースを出して、交流したり作品を見てもらったりする環境でした。 そこでは“知ってもらうために”無料でステッカーを置いている人も多いんです。私も同じようにステッカーを配布していました。 もちろん、取っていってくれるのは全然いいし、むしろ嬉しい。でも、ごく一部の人が「量を取れたらいい」というゲーム感覚で持っていくんですよ。しかも目も合わせずに。割合にすれば2%くらいの人なんですが、やっぱり気になってしまう。 そういう状況に直面すると、「こちらの意図とは違うところで消費されてしまうな」と感じます。だからこそ私自身も、出し方をもっと工夫しないと、そういう“物量のゲーム”に巻き込まれてしまうと思いました。

その表現の仕方、とても丁寧で優しいですね。

やっぱり私は“コネクション重視”なので。合わない人がいるのは当然だけど、だからといって誤解されてしまうのは避けたい。クレバーにやっていかないといけないな、と思うんです。

次の質問は少し抽象的なんですが……不安や葛藤ってありますか?

毎日ありますよ。いまは全然関係のない業界で、普通の会社員として働いています。仕事はもちろん必要ですし、制作にはお金がかかるから生活のためにも必要。でも「本当にこれでいいのかな」と毎日考えます。 もっとできることがあるんじゃないか、とか。周りにはフリーランスで生計を立てている人もたくさんいるので、自分の場合だったら何ができるんだろう、と毎日考えています。けれど、まだ踏み切れていない怖さもあるんですよね。

会社員ではない時間の割合を増やしたい、と?

増やしたいです。ただ、まだどこか怖いんでしょうね。本当にやりたいことで、覚悟が決まっていればできなくはないはず。でも、まだやっていないということは、どこかで覚悟が決まりきっていないんだと思います。

今の状態で、具体的にどんなモヤモヤがありますか?

シンプルに言うと、作品に使える時間が足りない。もちろん今できる範囲ではベストを尽くしていると思うんですけど。 あと、いまの仕事が「人を幸せにしている」と実感しづらいことですね。営業職なので、どうしても業界自体に興味を持てない。これまでレストランや服屋で働いたり、英語の先生をしたこともありますが、どれも目の前で人の笑顔が見える仕事でした。 いまはそれがなくて、お金をいただいていても「ずっとこれでいいのかな」と思ってしまうんです。

価値観の定義

あなたにとって、ダンスとはなんですか?ダンスが人生にどんな影響を与えたのでしょうか

そうですね。ダンスを始めた11歳から、と区切るなら、自信を持てるようになったのが一番大きいです。子供ってもともと自分が好きですけど、それとは違う「本当の意味での自信」をダンスに与えてもらった気がします。 ダンスは考えるより“ナチュラルに表現するもの”なので、そこでは頭で悩むことは少ないんです。でも、さっき話した映像作品みたいに、音楽を軸にしてパッケージをつくるときは違う。音楽アルバムのように「自分を丸ごと表現するもの」をやってみたかった。 両親のことや、別れ、出会い、そういう赤裸々な体験をアートにするアーティストたちを見て、「自分もやってみたい」と思いました。実際やってみたら「あ、できるんだ」って。しかも「よく頑張ったな、自分」って思えた。初めて人生を俯瞰して「いい人生かもしれない」と思えたんです。それが大きな自信になりました。

なるほど。ご自身の作品を見返したときに感じるわけですね。結構赤裸々に表現されている?

はい。もしかしたら見る人によっては「友達じゃなくなる」と思う人もいるかもしれない。でも、正直に言わないと伝わらないことがある。変に嘘をつくより、長い目で見たら正直な方がいいと思っています。わかってくれない人もいるかもしれないけど、わかってくれる人は必ずいる。

築いてきた繋がりが崩れるかもしれない、と不安はなかった?

浅い関係の人は離れるかもしれないけど、それはそれでいいんです。大事なのは本当にわかってくれる人。実際、親友たちを家に呼んで一緒に観てもらったら、感動してくれました。感動してほしくて作ったわけじゃないけど、「わかってもらえた」と思えた。それで正解なんだと感じました。

日本や東京への想い

東京についてもお聞きしたいのですが、Ryotaさんにとって東京はどんな場所ですか? アメリカでの経験と対比される部分もあるかもしれませんが。

東京は私にとって“遊び場”ですね。ニューヨークやLAのように整備されていない都市と比べると、東京は本当にきれいに整備されている。その分、やりやすさがすごく多いです。ただ逆に、きれいだからこそ小さなことが気になってしまうというのもある。アメリカだったら街がもっと汚くて、ゴミが一つあっても気にならないんですけどね。

アメリカと東京の感覚の違いはどんなところにありますか?

アメリカでは誰も他人を気にしません。良くも悪くも“自己中”です。東京も地方出身の方から見ると「他人を気にしない」と感じるかもしれませんが、実際はアメリカの方がずっと徹底しています。気にしなさすぎて迷惑になるくらい(笑)。

記憶に残っているエピソードはありますか?

ニューヨークでのことですが、ホームレスの人が進化していて驚きました。電車に乗り込んできて、QRコードを大量に置いて「ここに送金してください」と言うんです。周りの人は気にも留めない。次の駅に着くとさっと片付けて去っていく。ニュースにもならない。それが当たり前になっているのがアメリカなんですよね。 東京は逆にルールがしっかりしていて、良くも悪くも“ルールに縛られている”感じがあります。たとえば私の住んでいるアパートでは「自転車を中に入れてはいけない」というルールがある。汚れるのが理由なら拭けばいい話なのに、ただ「駄目だから駄目」というだけのルール。学校の「ビーズアクセサリー禁止」みたいな謎ルールもそう。日本の真面目さの表れだと思います。 帰ってきて感じたギャップは、ご飯が美味しすぎること(笑)。あとは、人が優しいけど、ただ、その優しさの種類がアメリカとはちょっと違う。日本の優しさは“ルールに従った優しさ”が多い気がします。

アメリカに戻りたい気持ちはありますか?

もう住むことはないと思います。友達に会いに行くくらいで十分。次に海外に住むなら、行ったことのない場所に行きたいですね。ヨーロッパ、特に北欧に興味があります。フィンランドなんかすごく魅力的です。「フィンランド」という響き自体がかわいいじゃないですか(笑)。

北欧はデザインやアートも魅力的ですよね。

最近読んだ本に「フィンランドには“おしゃれ”という言葉が存在しない」と書いてあって驚きました。あんなにおしゃれな国なのに、概念としてない。つまり、それが当たり前で、ただ「心地いいことをしている」だけなんです。そんな国、一度は見てみたいですね。旅行でもいいから行ってみたいです。

これからの道のり

今後やってみたいこと、考えていることはありますか?

自分の店を持ちたいです。将来的には10店舗くらい……と言いたいところですが、まずは1店舗、しっかり腰を据えてやりたい。まずは日本で。地域の人に愛されるお店を作りたいです。 地方もありだと思います。そこに“ある”意味は、やっぱりその地域の人にフィジカルに感じてもらえること。ネットと大きく違うのはそこですよね。生活に根づくものにしたいです。

ご自身のブランドを、その地域の人の生活に根づかせたい?

それもありますし、「お金をいただく=自分のできることを提供する」ことだと思っていて。ダンスかもしれないし、カフェのような空間づくりかもしれない。場所や建物のヒストリーとうまく掛け合わせて、自分にできる提供をしたいんです。

そういえば、先ほど「自分のアパレルはまだ自走できない」とおっしゃっていました。ご自身がストーリーや思いを話して、わかってもらって買ってもらうのが一番いいと。その“ストーリー”や“コンセプト”を改めて教えてください。

ブランド名は「PIBE」と言います。語源は play it by ear――「アドリブでいこう」という意味の熟語です。私自身、人生をかなりアドリブで歩いてきました。もちろんプランも好きだし、計画がないと不安になることもある。でも、日々の服や帽子の中で、ふと目に入ったひとつが「アドリブでいく」というオプションを思い出させてくれたら、日常の重さが少し軽くなる気がする。その感覚を宿したい。

意味を知ると、プロダクトがお守りのように感じられますね。

まさに“お守り”になれたらいい。デザインとして可愛いと思ってもらえたら、それが出会いになって、会話が生まれて、店につながる。そんな循環を生みたいです。

届けたいメッセージ

過去の自分に、なにか伝えたいことはありますか?

「大丈夫、大丈夫だよ」って言ってあげたいです。もう何とかなるし、何とかしていくから大丈夫だよって。

それは、不安だったときの自分への言葉ですか?

そうですね。不安は今も毎日あるけど、昔の方がずっと多かったと思います。だからこそ、「心配しなくていい、振り返ったら全部楽しかったよ」って伝えたいですね。

では最後に、世界に伝えたいことがあればお願いします。

難しいですね。でもシンプルでいいと思う。「優しく生きよう」って。もちろん優しくできないときもあるけど、それは仕方ない。優しくできない人を見ても「ああ、今はその人も余裕がないんだな」と思えるようになりたいし、自分も余裕があるときはしっかり優しくありたい。今日みたいに楽しい時間を過ごせたから、今のうちに言っておきます。

優しくできなくなりそうになったら?

食べて、風呂に入って、寝る。それだけです(笑)。

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