UMU Tokyo

umu(うむ)は、東京にゆかりのある国内外のクリエイターにインタビューし、そのリアルな声や生き方を日英バイリンガルで発信するインディペンデント・メディアです。

「愛の言語」としての料理:強さと使命を見つけるフードクリエイターの旅

Megu

2025年10月10日

「愛の言語」としての料理:強さと使命を見つけるフードクリエイターの旅

料理を「愛の言語」として届けるフードクリエイター、Megu。自身の経験から、「食べることは生きることを肯定する行為」だと深く実感するようになりました。フードスタイリストやフォトグラファーとしてのキャリアを重ねたのち、現在は東京で料理教室やワークショップを主宰し、人々が自分らしい選択を誇れるようサポートしています。困難を経験したからこそ辿り着いた「食を通じて人を支える」という生き方。そのストーリーを深掘りします。

自己紹介

自己紹介をお願いします。

Meguと申します。これまで、フードスタイリストとして料理のスタイリングを手がけたり、フードフォトグラファーとして撮影したりと、クリエイターとして活動してきました。 現在は、単にレシピを伝えるだけでなく、その背景にある考え方や知識も含めて、より深く食と向き合う方法をお届けしたいと思い、料理教室や関連するワークショップを開催しています。

きっかけ

Meguさんのクリエイターとしてのキャリアはフードスタイリストから始まったんですね。そのきっかけを伺ってもいいですか?

最初は小学生の頃です。両親が共働きで、週末は姉と一緒にお留守番をすることが多くて。そのとき冷蔵庫にあるもので料理を作って、家族に食べてもらうのがすごく嬉しかったんです。 「自分が作ったもので人が喜んでくれる」その経験が大きな原点です。ちょうど当時クックパッドがローンチされた頃で、よくレシピを投稿していました。

それを「仕事にしよう」と思ったきっかけは何だったんでしょうか?

大学生の頃です。Instagramに動画機能が追加されたばかりの時期で、毎日レシピ動画を投稿していたんです。するとそれが仕事につながっていき、そこからがキャリアの始まりでした。

大学生で毎日投稿していたんですね。すごいです。

その頃はとにかく楽しくて。成果や数字を意識していたわけじゃなく、「楽しい」「嬉しい」「やりたい」という気持ちだけで続けられていたんです。でも就職を考えるタイミングで一度会社に入社しました。「食」とは無関係の仕事でした。 日系の会社のオーストラリア支店で働いていたのですが、その会社での飲食の習慣が心身に負担となっていったんです。その結果、だんだんと食事が苦しくなり、一時は生きる気力を大きく失ってしまいました。 深く落ち込んでいたあるとき、ふと頭に浮かんだのは、ルームメイトのタイ人のおばあさんが作ってくれた一皿のパッタイでした。言葉は交わせなくても、その味だけは心に刻まれていて...「もしかしたら、もう一度食べたいってことは、私は生きたいということなのかもしれない」と思えたのです。その体験が、私に「食には生きることを肯定する力がある」と気づかせてくれました。 こうした経験から、ただ流行を追うのではなく、「心のこもった料理を届けたい」と強く思うようになりました。だからこそ今は、料理教室や講座を通じて、その想いを人々に直接伝えています。

その会社を辞められてからは、どんな道のりを歩まれたのでしょうか?

退職を申し出たら「じゃあ今すぐ辞めて」と言われてしまって、帰国するお金もなく、住んでいた家もすぐに出ていかなければならなくなってしまったんです。正直あのときの記憶は曖昧なんですが、路上で靴を磨いた記憶があって…そうやって、なんとか帰国しました。 帰国後に「本当にやりたいことは何だろう」と考えたときに、やっぱり料理や食に関わる仕事がしたいと思ったんです。農家さんが心を込めて食材を育てていたり、地域のためにオーガニックに取り組む会社があったり…そういう選んだ人が誇らしいと思える選択肢を広めたいと感じるようになりました。 それで「広めるにはマーケティングが必要だ」と思い、マーケティング会社に入社して3年半ほど働きました。並行してフードスタイリストやフォトグラファーとして活動し、レシピ開発なども続けて、そこから独立しました。

とても勇気と行動力がある決断ですね。

そう言っていただけて嬉しいです。でも正直なところ、当時の私は自己肯定感がどん底で、とにかくどこかに所属したいという気持ちが強かったです。今思うと笑えますが、早く税金を払って、自分の存在を肯定したい、なんて思ったりしてました。

珍しい動機ですね(笑)。その会社での経験は、今の活動に活きていますか?

はい。最初の頃はBtoBの案件が中心で、例えば企業の商品であるトマトソースなどの食品を、どうPRし広めていくかを考える仕事をしていました。そのためにはマーケティングの知識はもちろん、魅力的なビジュアルやレシピの提案も欠かせません。 そこで得られた大きな財産が、「誰に届けたいのか」を常に考える力です。たとえば、時間に余裕のある人に向けるのか、それとも息つく間もないほど忙しい人に向けるのかによって、レシピも見せ方もまったく変わってきます。

本当にその通りだと思います。マーケティングって、すごく大事ですよね。私もデザイナーをしていて、もっと勉強しなきゃなと思っているところです。

そうですよね。重要なことだけれど、同時に難しさも感じます。例えば広告を作るとき、「どうすればもっとクリックされるか」「どうすれば売れ行きが良くなるか」に焦点が当たりがちです。でも、その一方で、自分にとって本当に美しい表現なのか、自分の価値観と一致しているのか、と自問することもあります。これがいつも私の葛藤です。 「良い食事や良い選択肢を広めたい」と思ったのも、選んだ人に「自分のために良いことをした」って思ってほしいからなんです。私もそのような意識を持って普段生きています。自分の選択に自信を持ちたいし、「誰かが良いと言うから」ではなくて、「自分がいいと思うから」選べるように心がけています。難しいですけどね。

フードスタイリストとして最初のお仕事、覚えていますか?

はい、覚えています。ある企業さんとお試し的にご一緒させていただいた時で、すごく緊張しました。料理の写真って手元が映ることが多いので、友人にハンドモデルをお願いしたんです。汗をかきながら、一生懸命やってくれました。 その努力も全部含めて一枚の写真になったとき、「これがベストだ」と強く実感しました。そのときに「評価も大事だけど、自分が全力を注ぎ込んだと思えることが一番大事だ」と思ったんです。

友達と一緒にやっていたからこそ、余計に特別ですね。

そうなんです。それがもうベストなんですよね。支えてくれる人がいるから作品が生まれる。あの経験がなかったら、今フリーでやっていなかったかもしれないです。本当に感謝していますし、結局「ひとりの仕事」って絶対にひとりではできないんだなと実感しました。

フリーランスになるタイミングは、やっぱり怖かったですか?

怖かったです。というのも、私はこれまで優等生タイプで、レールに沿って生きるのが得意だったんです。会社を辞めて自分の道を歩むのは、これまでのレールを外れることであり、とても勇気のいる決断でした。 でもありがたいことに、独立するタイミングで「これから一緒にやっていこう」と声をかけてくださったクライアントさんがいて、ゼロからではなくスタートできたんです。自分の力だけで掴んだというよりは、本当に周りに恵まれていたからだと感じています。

今の活動内容についてもう少し教えていただけますか?

大きく2つの軸があります。 一つ目は日本の方向けで、食と心の関係に焦点を当てた料理教室やワークショップを行っています。例えば「やめようと思っているのに、なぜついチョコレートを食べてしまうのか?」といった問いを一緒に探っていきます。自分の選択を理解し、受け入れ、安心できるようになることを目指しています。 二つ目は、こちらは最近始めたばかりですが、海外の方向けに植物由来の食べ物を使った日本料理を紹介しています。

なるほど。幅広く活動されているんですね。

去年までやっていた企業向けのレシピ開発やスタイリングの仕事はすべて手放して、今は料理教室やワークショップに完全にシフトしたんです。

それはまた思い切った決断ですね。やっぱり料理教室に振り切ったということは、それが本当に「伝えたいこと」や「やりたいこと」だったんですね。

そう思います。BtoBのときももちろんやりたいことではあったんですが、もっとダイレクトに届けたいという気持ちが強くなったんです。 企業向けにレシピを作っていたときも、「毎日の食事という機会で、少しでも自分を誇れる瞬間をつくってほしい」という思いでやっていました。でも本当にそれができているのかは分からない。数字で成果は見えるけれど、それが誰の幸せにつながっているのか、腑に落ちない瞬間も多かったんです。 その頃に、以前食事を振る舞ってくださった、命の恩人でもあるタイ人のおばあさんに会いに行く決心をしました。会社の仕事を手放したことで、その時間を持つことができたのです。帰国してからは料理教室一本に切り替えました。 始めた時は、不安8割、ワクワク2割でした(笑)。経済的な不安ももちろんありました。ありがたいことにBtoBをしていた頃は経済的に不安定になることはなかったので、その分勇気のいる決断でした。でも後悔は一切なくて、自分の信念に沿った選択ができていると強く思います。 実際に受け取ってくださる方々が人生に変化を感じてくれる。その物語を一緒に見られることは、とても幸せです。

実際の活動の詳細をもう少し伺わせてください。

日本人向けに開催している講座の名称は「Mindful Eating(マインドフル・イーティング)」です。この教室では、「マインドフルに食べること」という考え方を日本に広めることを目指しています。 内容を簡単に説明すると、「本当はお腹が空いていないのになぜ食べてしまうのか?」「生理前になるとなぜ食べすぎてしまうのか?」といった仕組みを理解し、自分の心にやさしく向き合うことで、自信を持って選択できるようになることを学びます。 講義だけでなく、「どんな料理を選べばよいか」「どんなレシピを試せるか」といった実践的な要素も盛り込んで、勉強会と料理教室を組み合わせた構成なんです。世田谷区で開催していて、3か月間・隔週開催の認定講座で、修了後には修了証が授与されます。

その修了証はご自身で作られたものなんですか?

はい、私が設計しました。単発で終わらず、身につくまで伴走したいので3ヶ月にしています。ちなみに試験もあるんです。内容は、例えば「ストレス食いはなぜ起こるのか」「どんなホルモンが関係するのか」「心に寄り添いながらより良い選択をするにはどうしたらいいか」「突発的な欲求に関わる栄養は何か」などです。 「イライラしたら食べちゃう」で終わらせずに、それが自己否定の材料になってしまうなら、意識的な選択に変えていけるように。食べ物以外で感情を消化するスキルも含め、知識と実践をしっかり身につけてもらいます。

つくる楽しさと難しさ

今のお仕事をされていて、「ああ、このためにやっているんだな」と思える、一番幸せな瞬間はどんなときですか?

私の料理を通して、誰かが「自分は自分のままでいいんだ」と思ってくれる瞬間です。 今は企業向けのフードスタイリングをやめて、料理教室や心と食事の関係を伝える講座をしています。私が料理を届けたい理由は、食を「愛の言語」として、生きることを肯定するきっかけにしてほしいからなんです。 誰かが料理を食べて「すごくおいしい」とか「自分でも作れるんだ」と感じてくれると、本当に嬉しくなります。一方で、食というのは人がジャッジされる場でもあるなと思っていて。たとえばダイエットでは、ある食べ物が「良い」「悪い」とラベルを貼られてしまうことがあります。でも私にとって一番大切なのは、自分が幸せになれるものを選ぶことです。 だからこそ、生徒さんが私のレシピを作って「私はこれが好きだから作る。食べて幸せ」と思ってくれるのを見ると、何よりも報われたと感じる瞬間なんです。かつて、私自身も自分を受け入れることに苦しんだからこそ、今は「人が自分を受け入れられるような食」を届けたいと思っています。それを受け取ってくれる人がいることに心から感謝しています。

逆に、活動を始めてから、一番大変だったことは何ですか?

2つあります。 ひとつは、ゼロから立ち上げるのに時間がかかること。すぐに結果を出すのが難しかったです。 もうひとつは、「美味しい」の基準が人によって全く違うこと。自分の「美味しい」を信じながらも、相手の「美味しい」も尊重する。その両立がすごく難しいです。特に外国の方向けの料理教室を始めてから強く感じました。日本人の味覚と全然違うんですよね。 だから「私はこれがいいと思う」という軸は持ちつつも、「好みに合わせて醤油を置いておく」とか、相手に寄り添える工夫を模索しています。自分の視点もあるけど、相手にとってのベストを想像するしかない。どっちが正しいか、ではなく「届けたい人にとっての最適」を考えて尊重することが大切だと思っています。

価値観の定義

あなたにとって「料理」とはなんですか?

愛を伝える手段だと思っています。 誰かに「ありがとう」を伝えることもできるし、自分に「お疲れさま」と伝えることもできる。これは揺るぎません。私があのとき生きることを諦めなかったのも、「このことを伝えるためだ」と強く思っています。

食事が自分に「お疲れさま」と伝える手段、そんなふうに考えたことはありませんでした。

そうなんです。デザイナーさんも夜遅くまで働かれることが多いですよね。だからこそ、たとえコンビニで買ったおにぎりでもいいと思うんです。どんな食べ物だったとしても、それが明日を生きるエネルギーになる。だから「今日もお疲れさま」って、自分に声をかけながら食べてほしい。食べることは自分が生きることを肯定する行為。毎日、心にも身体にも栄養を与えてくれる存在だと信じています。

日本や東京への想い

開催は東京とのことですが、東京は地元ですか?

地元ではありません。住み始めて4年ちょっとです。神奈川県出身で、新卒でオーストラリアに行きましたが、退職して帰国した際には神奈川県に戻りました。しばらく住んでましたが、自分のビジネスを本格化させたくて引っ越しました。

なぜその場所を選ばれたのですか?

物件が理想的だったんです。インテリアを考えるのも好きで、その点でも相性がよかった。最初は鎌倉あたりで探していたのですが、料理教室ができる許可関係の条件もあり、たまたま理想の物件が東京だった、という感じです。 私の住むエリアは穏やかで、ご近所の方も温かいです。声をかけてくださったりして、とても居心地がいいんです。

空間づくりも大切にされているんですね。

はい。料理そのものだけでなく、空間やその場で生まれる会話を含めて味わってほしいと思っています。同じ料理でも、どこで誰と食べるかでまったく違う体験になる。そこまで含めて提供したいんです。

これからの道のり

これからの目標はありますか?

大きな目標は、カフェ、料理スタジオ、マインドフルネスのスタジオが一体になった場所を作ることです。来てくれた人が「ここにいる自分が好きだな」と思えて、自分自身に安心できる空間をつくりたい。 自己紹介は苦手で「何屋さん?」と聞かれると迷うのですが、手段は何でもよくって、毎日自分を少しでも肯定できる選択肢を広めたいと思っています。その中心に、私の場合は料理とマインドフルネスがある、という感じです。 私は長い間「自分には価値がない」という思いに苦しんできました。けれどそのおかげで今は「生きていてくれてありがとう」と言える係になれたと思っています。これまでの経験が消えることはありませんが、その経験を誇りに思い、ほんの少しでも誰かの心をやわらげる力に変えたいんです。形はどうであれ、大切なのは自分自身を本当に受け入れられる人を一人でも増やし、愛のある社会を作っていくことだと考えています。

新しい挑戦やリスクに向き合うとき、どうやって決めますか?

「怖いから、やる」です。 不安は、今いる場所から一歩先へ進もうとするときに必ず現れます。知らない世界へ向かうとき、「うまくいくかな」「失敗しないかな」と心配してくれる「不安ちゃん」がやってくる。でもそれは、夢が叶う一歩手前のサインだと捉えています。だから、怖いけどやる。怖いからこそ、やる。そう言い聞かせて、泣きながら進みます(笑)。

そのような考え方ができるようになったのは、いつ頃からなんですか?

もちろん元からではありません。私はすぐに怖がってしまう性格でした。でも独立した頃からですかね。実は、どん底まで落ちて帰国したあと、会社で働きはじめるタイミングでヨガを始めたんです。瞑想などを通して心と向き合う時間が増えて、インドへ修行に行ったこともあります。そういう中で少しずつ不安な気持ちを歓迎できるようになったんです。 瞑想をしても不安が消えるわけじゃない。でも不安は夢が叶う前のサイン。もっと素敵な自分に出会うきっかけを教えに来てくれているんだと思うようになりました。

もしオーストラリアでの経験がなかったら、今頃何をされていたと思いますか?

そうですね…オーストラリアに行っていなかったら、いわゆる普通の会社員をしていたと思います。あのときが、初めてレールを外れた選択でした。たとえ辛い経験だったとしても必要なことだったし、その自分を誇りに思っています。

届けたいメッセージ

ありがとうございます。これが最後の質問になります。過去の自分になにか伝えたいメッセージはありますか?

「あなたとして生きててくれてありがとう」。私自身にも、この世の全員にも、そう伝えたいです。 このインタビューを読んでくださる方は、きっとクリエイターさんが多いですよね。だからこそ伝えたいのは、自分の真ん中にある「やりたいこと」「好きなこと」を信じ続けてほしいということです。簡単ではないし、私も毎日揺れます。でも、戻ってこられる場所として自分の真ん中を守ってほしい。あなたでいられるのは世界でたったひとりあなたしかいないから。私もそうありたいと思っています。

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