静岡で生まれ、アメリカで育ったMasanari。大学院で演劇を学んだ後、日本で表現者としての道を歩んできました。舞台俳優として長いキャリアを築きながら、近年は映画や映像制作へと活動の幅を広げています。自身のクリエイティブは一つの肩書きには収まらないと語るように、その表現は多岐にわたります。生の舞台でしか味わえない緊張感から、映像として残り続ける作品まで、すべてに真摯に向き合っています。挫折や再出発を繰り返しながらも、「芸術は人の魂を癒すもの」という信念を胸に、彼は歩みを続けています。
自己紹介
まず、自己紹介からお願いしてもいいですか?
実は自己紹介が一番苦手なんです。俳優なのに…と思われるかもしれませんが、どこから始めればいいか、何を言えばいいかいつも迷います。今日の自分と昨日の自分も別人だと感じているので。それでも、自己紹介は相手が僕を理解するための助けになると思うので、お話ししてみますね。 僕は舞台出身の俳優です。長いキャリアを舞台で積んできました。静岡県生まれですが、すぐにアメリカへ渡って長く暮らし、20代で大学院を卒業して日本に戻ってきました。若い頃から俳優を目指して、トレーニングや学校で演技を学びました。大学院もシアター専攻で卒業しています。 なぜか、自己紹介をすると少し真面目すぎる印象を与えてしまうようですが、普段は明るい人間なんですよ。ただ「自己紹介」という場面になると考え込みすぎてしまうんです。 最近は映像の分野でも活動するようになリました。舞台の芝居をやりながら、個人的に映像作品を撮ったりもしていて。こうして活動の幅が広がったことが、今の自分にとってすごく刺激的で、面白いなと感じています。舞台のことでも、映像やビジュアルの世界についてでも、何か聞きたいことがあれば、どんなことでも聞いてください。特に、映像制作については、僕の中で本当に大切なテーマになってきています。
umuではクリエイターの 肩書きをInstagramの投稿に書くのですが、Masanariさんなら何と表現しますか?
自分をSNSにどう表現するかは、ずっと悩んできました。人はやはりプロフィールを見ますからね。「この人は何をしている人なのか」という枠は大事だと思います。抵抗があっても、枠がないと人は迷ってしまう。 僕にとって外せないのは、俳優・映画監督・演劇人・芸術家。この四つのどれか一つでも欠けると、自分の中の何かが足りない気がします。
きっかけ
芸術の世界に入った最初のきっかけは?
出発点は俳優でした。物心ついた頃から、人前で表現することが好きでした。幼稚園の発表会のような場所がとても大切で、ああいう場がなければ自己表現はできなかったと思います。僕はかなり内向的な人間なので、なおさら舞台が受け皿になってくれた。 プライベートでは、さっきのように自己紹介一つでも言葉を選びがちで、舞台上の自分と普段の自分がまったく別物に見える時もあります。でも親しくなるにつれて、その線はだんだん薄れていく。初対面では自分から積極的にいくタイプではありませんが、最近は少しずつ良くなってきた気がします
一番最初の仕事は覚えていますか?
はい、高校生のときにテレビのエキストラの仕事をしたのが最初ですね。事務所に入り、撮影現場に行ったんです。実際に制作の現場に入ってみて、たくさんのスタッフさんや俳優さんたちが動いているのを見たときは、僕にとってすごく大きな衝撃でした。本当に「非日常」の世界に飛び込んだような感覚でしたね。
お芝居している時のMasanariさんと、普段のMasanariさんは別人のようですか?
そうですね。舞台の上では自分を思いきり解放できるんですが、プライベートではつい考えすぎてしまうんです。たとえば先ほどの自己紹介のような、些細なことでも。ときどき、舞台に立つ自分と日常の自分はまるで別人のように感じます。それでも、人と深く関わるようになるにつれて、その境界は少しずつ薄れていく気がします。もともと知らない人に自分から話しかけるタイプではないのですが、最近は少しずつそれができるようになってきました。改善したいところは、意識的に取り組むようにしています。 俳優って、自分を一度脇に置かないと他者を演じられない仕事でもある。ずっと同じ“自分”でいたくはないんです。どんな役を演じても「この人だ」とすぐにわかってしまうような存在にはなりたくありません。必要とあれば、自分の個性や癖さえも捨てられるような人でありたいと思っています。 とはいえ、たとえばシャイなところを直すのは簡単ではないですね。人から指摘されても受け入れがたい部分はある。でも受け入れた瞬間から変化は始まる気がしていて、少しだけ“違う自分”を試してみる。それもある意味では演じることかもしれません。演じ続ければ、それが自分になっていく。プロアスリートが同じ訓練を重ねて本物になっていくのに近い感覚です。
Masanariさんにとって、舞台に立つことの特別な点は何でしょうか?
舞台は、まさに「その瞬間、その場限り」のライブパフォーマンスだと思っています。いくら稽古を重ねても、本番はたった一度きりです。だからこそ特別なんです。AIや機械が発達しても、生の舞台に立つ人間だけは代わりがきかないと信じています。舞台に立ち続けられる限り、生きがいを感じられると思います。 育ったカリフォルニアは、どこに行ってもハリウッドや映画文化が溢れているような場所でした。だから、テレビや映画に出たいと思うのは、ごく自然なことだったんです。でも、不思議と僕に巡ってくる機会は、いつも舞台の仕事ばかりでした。舞台に立てば立つほど、そこが自分の居場所だと感じるようになって。どれだけ映像の仕事をしても、最終的にはいつも舞台に戻ってくるんです。舞台から離れていると息苦しくなるくらい、僕にとって特別な意味を持つ場所ですね。
舞台に立つのはとても緊張することだと思います。緊張とどんなふうに向き合われていますか?
緊張が完全になくなることはありません。でも、それは悪いことじゃない。最近ようやく「緊張はエネルギーだ」と実感できたんです。エネルギーがあるからこそ表現につながる。逆に緊張しないと「この仕事、もしかしてやりたくないのかも」と思うくらい。だから今では緊張が嬉しいし、むしろ積極的に緊張したいくらいなんです。今日のインタビューも緊張してますよ。
つくる楽しさと難しさ
では次の質問です。アートやクリエイティブ、自己表現の世界にいて、一番幸せだと感じる瞬間はどんな時ですか?
やっぱり舞台です。生身の人間同士が向き合い、その瞬間にしか起こらない出来事が起きて、終われば記憶にだけ残る、というその特別さへの情熱は変わりません。 同時に、映像にはまた別の種類の喜びがあることに気づいたんです。舞台では、これまで主にすでにある脚本と演出家のもとで活動してきましたが、映像はゼロから自分の世界観を形にできる。頭の中にしかなかったものが、作品として目に見える形になったとき、それを人が実際に見てくれる瞬間に、すごく感動します。デザインもきっと同じですよね。自分の中にしかなかった色や形が、人の目に触れることで、また違う意味を帯びていく。 今は音楽と合わせたダンスのコラボレーション作品や、自分で撮影した短編映画などを制作しています。10月にはこれまでで一番大きな撮影を控えていて、カメラを通して新しい世界を創り出すことにすごくワクワクしています。
逆に、これ以上続けられない、もう辞めようかな、と思ったことはありますか?
もちろんあります。なければ今の自分はいないでしょう。実際に俳優を2回本気でやめました。1回目は劇団を辞めたとき。肉体的な疲れもありましたし、自分が芸術家や演劇人として何を目指すのか分からなくなって。経済的な不安も重なって、生活していけないんじゃないかと悩みました。 劇団を辞めた後は普通の会社員のような仕事もしましたが、それはさらに不幸な時期でした。「人生の意味は何なんだ」と本気で思いました。芸術を離れた生活は全然うまくいかなくて、戻っても進んでも行き詰まる、暗黒期のような感覚でした。 それでも、諦めなければ必ず何とかなる、今ならそう言えます。当時の自分に言ったら殴られるかもしれないけど(笑)。今だって楽ではないですが、あの頃感じていたような、底なしの絶望からは抜け出せました。
どうして諦めずに続けられたんですか?
何より大きかったのは、周りの人たちの存在です。最近、人に教えることの大切さをすごく感じるようになったんです。若い世代に演技や発声を教える中で、自分の経験がこのまま誰にも伝えられずに終わるのはもったいないなって、強く思うようになりました。もし、僕の経験が彼らの助けに少しでもなるなら、それは伝えるべきだと考えています。そして、その良い影響が彼らから自分に返ってきたときに、「続けてきてよかった」と思えるんです。 若い頃は、自分のキャリアのことだけを考えていました。でも、年齢を重ねて、他人と協力したり、繋がったりすることで、自分の世界がどれだけ広がるのかを知るようになりました。それが、僕の人生に意味を与えてくれているんだと思っています。
価値観の定義
Masanariさんにとって芸術とは何でしょうか?
僕は、芸術家は『心の医者』だと思っています。これは、僕が尊敬する演出家の鈴木忠志さんの言葉ともどこか響き合っていて、本当にその通りだと感じるんです。どんなにテクノロジーが進化して、寿命が延びて、健康になったとしても、芸術がなければ、人はきっと心にぽっかり穴が空いてしまう。芸術には、目には見えない部分、つまり心を癒し、回復させ、生き返らせる力がある。そう信じています。
素敵な言葉ですね。では、アーティストとしての道を歩み始めた頃と、今とで一番大きな違いは何だと感じますか?
若い頃は「トップに立ちたい」というハングリー精神が強く、演技を「芸術」とは軽くしか考えていませんでした。でもコロナ禍で人前に立てなくなったとき、本当に恐怖を感じたんです。舞台に二度と立てないかもしれない、と。 そのとき「芸術は人に非日常を与えるものだ」と再認識しました。あんなに苦しくて、行動が制限された状況の中で、ほんの一瞬でも誰かを笑わせたり、日常の息苦しさを少しでも和らげてあげたりする。それこそがアートの役割なんだって。そのことを、強く思い出させてくれた出来事でした。
コロナ禍で始めたのが映像制作だったんですね。
そうです。ちょうど短編映画を企画していたんです。でも、同じ部屋に3人以上いてはいけない状況になって、制作は本当に困難でした。しかし、「今じゃないとできない」と思って挑戦しました。助成金を活用して機材を揃え、6か月かけて自分の一人舞台を映像化しました。 これがきっかけで照明機材とかも揃えて、「もっと撮ろう」っていう流れになったんです。そこからは自分ひとりじゃなくて、人を誘って一緒に作るようになって。やっぱり「人と一緒に表現して、人に伝えたい」っていう気持ちはずっと変わらずにありますね。
なるほど。「伝える」というのは、見ている人にどういうことを受け取ってもらいたいんでしょうか?
そうですね、これは少し特殊かもしれませんが、僕にとって作品は「はい、どうぞ」とそのまま手渡すようなものではないんです。映像でも音楽でも舞台でも、自分が作ったものを受け取った観客が、それを解釈して一緒に作ってくれる、その感覚が理想なんです。
一緒に作る、ですか?
そうです。観客の皆さんが僕の作品から受け取ってくれる意味や感情は、すべて『正解』なんです。「いや、それは違う」って否定することはしないですね。むしろ、そこからどう広がっていくのかを見るのが、すごく面白いんですよ。僕に降りてくるインスピレーションは、宇宙から来たものだなんて冗談で言ったりするんですが、僕はそれをただ形にして、言葉や映像に置き換えるだけ。それが、僕の役割だと思っています。
なるほど。
だから理想は、それを受け取った人が自分なりに変化を起こしてくれること。「昨日は寂しかったけど、今日は少し嬉しい」とか、逆に「ちょっと切なくなった」とか。なんでもいいんです。その人の日常に小さな変化を与えられたら、それが一番嬉しいですね。
日本や東京への想い
東京についても伺わせてください。Masanariさんにとって東京はどんな場所ですか?
今は埼玉に住んでいて、毎日のように東京に通っています。東京は「渦巻きの芯」のような場所ですね。いろんな風が流れ込んで、そこから変化していく。池袋あたりの人混みに入ると、まさに渦の中に巻き込まれる感じがします。 住んでいないからこそ好きなんだと思います。通勤や仕事で関わる東京は、映像制作や教える場として、自分の一部を刻むような場所です。毎日、自分の何かをそこに残して帰る感覚があります。
これからの道のり
今、どんな目標がありますか?
地味ですが、現実的な目標です。一人の表現者として、この世に残すべき作品や、世界に伝えるべきメッセージがあると強く感じています。しかし同時に、日々の暮らしを成り立たせるための仕事もこなさなければならない。その二つの間でどうバランスを取るか、常にその重圧を感じています。 最終的には、もっと自由に創作できる日に近づいていきたいと思っています。芸術と現実との間の隔たりを和らげ、もう少し生きやすくしていくのが目標です。
挑戦やリスクを取る場面がたくさんあったかと思います。一歩踏み出すのが怖い気持ちにどう立ち向かうのでしょうか。
正直、精神的な怖さと向き合うことにはあまり抵抗がないんです。新しい挑戦に入るときの不安は受け止められる。ただ、最近怖くなってきたのは老いですね。やりたいことは山ほどあるのに、あちこち痛みが出てきて、健康に気をつけないと本当に続けられない。 だから「ここは危ないぞ」と言う声と「いや、まだいける」と言う声のバランスを取るのが難しい。怖さは消えない。でも、少し先を見て「最悪こうなったとして自分は大丈夫か?」を具体的に考えることだけはやります。これをしないと何もできなくなるから。 一方で、やったことのない仕事や初めての現場は、怖さよりワクワクする気持ちの方が大きいですね。むしろ「いつでもかかってこい」っていうスタンスです。ただ、最近は体を大切にすることの重要性を痛感しました。こればかりは無視できない現実ですね。
届けたいメッセージ
ありがとうございます。最後の質問です。世界に伝えたいことはありますか?
まずは、「umu」という場をつくって、いろんな人の声を増幅してくれて、ありがとうございます。僕はそういう発信が得意ではないので、オンラインのプラットフォームで丁寧に話を拾ってくれる役割は本当に大きいです。 僕のことなんて誰も知らないかもしれない。それでも、この話を読んだ誰か一人でも「明日も頑張ろう」「作品を仕上げよう」と思ってくれたら、それで十分です。 「以心伝心」という言葉が日本にはありますね。言葉にせずとも心が通じ合う、というような意味です。僕は、言葉を超えたところで通じ合う感覚を信じていますし、この対話そのものも、その流れの一部だと感じています。良いエネルギーが広がれば、世界は少しずつ良い方向に変わっていく。 時として、芸術的な表現は、権力者にとって脅威にすらなり得ます。だからこそ、その渦の中心に立ち、世界を少しずつ動かしていくのが僕たちの役割だと信じています。
Follow and connect with Masanari Sasaki below...
