UMU Tokyo

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好奇心と学び続ける姿勢で、東京で3Dアートのキャリアを築く

Kenti

2025年10月20日

好奇心と学び続ける姿勢で、東京で3Dアートのキャリアを築く

フランス出身で現在は東京で暮らすテクニカルアーティスト、Kenti。もともとは生物学を学んでいたものの、アニメーションやゲームへの憧れから進路を変え、フランスと日本でキャリアを積んできました。ゲーム業界での挑戦や転機を経て、現在は自動車や産業分野で3Dアニメーションやシミュレーションを手がけています。常に学び続ける姿勢と「枝を広げるようにキャリアを広げていく」という考えを持つ彼が語る、挑戦と成長のストーリーに迫ります。

自己紹介

まずは自己紹介をお願いします。ご出身や、どんなお仕事をされているのか教えていただけますか?

Kentiと申します。フランス出身で、2023年から東京に住んでおり、もうすぐ3年になります。最初は日本語を学ぶために来日して、現在はテクニカルアーティストとして働いています。フランスでゲームアートとゲームデザインを学んだ後、ゲーム業界で就職先を探しましたが、とても難しかったんです。今でも参入は厳しく、求人も多くありません。そこで日本に来ることを決めました。日本語を勉強しながらフランスの会社からのフリーランスの案件を受け、その後、日本のゲーム会社で3Dキャラクターアニメーターとして6〜7か月ほど働きました。

それから今の会社に移られたんですね?

はい。現在の会社はゲーム業界ではありませんが、使用するツールやワークフローは同じです。アニメーション、トレーラー映像、CGの制作などを行っています。

業界をお伺いしてもいいでしょうか?

テクニカルアーティストという職種は、関わる分野がとても広いので、一言でまとめるのが少し難しいんです。ゲームや広告、映画、アニメーションなど、いろんな業界で仕事ができるように学校でも幅広く学びました。今は、自動車業界やイノベーション分野向けに、3D CGやシミュレーションの制作を担当しています。

すごいですね。

はい。テクニカルアーティストは本当にいろいろなことをやるんです。

きっかけ

そもそも、なぜ最初にゲームデザインを学ぼうと思ったのですか?

いい質問ですね。大学では生物学、正確には微生物学を専攻していたんですが、一生研究室にこもって過ごすのは自分には合わないなと思ったんです。もともと映画やアニメ、ゲームが好きだったので、思い切って3Dのプログラムに応募しました。最初は映画向けのアニメーションをやりたかったんですが、そのコースは学生が少なくて、代わりにゲームコースが開設されたんです。使うツールはほとんど同じだったので、そのままゲームの方に進みました。自分の頭の中のアイデアを、アニメーションとして画面の中で動かすのがすごく好きで、それがこの道を選んだ理由です。

ご自身でもゲームはしますか?

以前はよく遊んでいましたが、今はあまり時間がなくて。それでもゲームは大好きです。

最近はどのくらい忙しいんですか?

とても忙しいです。仕事や趣味だけでなく、日本で生活して働くには手続きなど時間のかかることも多く、エネルギーを使います。優先順位をつける必要があるので、ゲームをする時間はあまりありません。たまに遊ぶ程度です。

一番最初のプロジェクト、覚えていますか?

3Dでの最初のプロとしての仕事はアニメーションではなくて、病院向けのゲームのUI制作でした。患者さんがゲームをしている間に医療データを収集する仕組みで、インターフェースの設計と一部のプログラミングを担当しました。

そういうものがあるとは知りませんでした。

「シリアスゲーム」と呼ばれています。

その経験はいかがでしたか?

とても良かったです。週に一度病院で打ち合わせを行って、医師の方々が私の制作物を見て「これを試せますか? この機能を追加できますか?」といった要望を出してくれました。技術的にはそこまで複雑ではなかったですが、意味のある仕事で、多くのことを学べました。大切なのは、学校を出た後も、学び続けていることだと思います。今も常に新しいツールを学び続けることを大切にしています。これはずっと続けていきます。

つくる楽しさと難しさ

さまざまな領域でお仕事をされていますが、テクニカルアーティストとして一番うれしかった瞬間はいつでしたか?

今まさに、現在の会社での仕事がそうですね。以前より責任も増えて、今のプロジェクトでは2人チームなので自分から動いて新しいワークフローを学ぶ必要があります。プロジェクト自体がちょっと特殊なので、デザイナーが頭の中で描いているイメージをしっかり汲み取ることも大切です。私はイノベーション向けのコンセプトカーにリグ(骨格)を組み、アニメーションをつける役割を担当しています。まだ存在しない車なので、その機構や動きを想像しながら作っていくんです。難しい部分も多いですが、その分やりがいがあって、今のこの仕事に一番充実感を感じています。

Kentiさんが想像してデザインしているその車は、実際に公開される予定ですか?

はい。来年ラスベガスのCESで発表される予定です。リリース時に使用するトレーラー制作も担当しています。もしかすると、チームと一緒に現地へ行く可能性もあります。

とても楽しみですね。キャリアで最も大変だった瞬間も教えていただけますか?

ゲーム業界でフリーランスとして働いていた時期ですね。好きなことを仕事にすると、「好きだから」という理由で、無給だったり、長時間働いたり、十分な報酬を得られなかったりすることが少なくありません。だからこそ、ゲーム業界で働きながらきちんと生計を立てている人たちを本当に尊敬しています。とても大変な世界だと思います。

クリエイティブ業界で苦労する人が多いのは、やはり競争が激しいからでしょうか?

その通りだと思います。やりたい人は多いのに、求人は多くありません。

フランスと日本でのゲーム業界での経験を通して、キャリアや生活をどんなふうに感じていますか?

ほとんどがフリーランスでした。日本でも常勤ではなく、月ごとの契約でした。ゲーム業界では安定したポジションが少ないので、同じ会社に長く留まることは珍しくて、頻繁に職が変わることが多いです。

日本の職場環境は厳しいイメージがありますが、実際はどうでしたか?

私が働いていた日本のゲーム会社は、コロナウィルスの影響で完全リモートでした。基本的に、オンラインミーティングやスクラム、アジャイルを活用し、プロジェクトを進行していました。オフィスには出社せずとも、スムーズに業務が進みました。当時は3Dキャラクターアニメーションを担当していました。

なぜ別の業界や会社に移る決断をしたのですか?

残業と給与の問題ですね。ゲーム業界ではよく「情熱で働く」と言われていて、その言葉のもとに長時間や無給の残業を受け入れてしまう人も多いんです。私はそういう働き方はしたくなかったし、もっとイノベーションのある環境や、ときにはオフィスで働けるようなバランスの取れた環境を求めていました。今はオフィスとリモートのハイブリッド勤務で、フレックスタイムもあるので、自分で働き方を選べています。

フレキシブルな働き方が、一番バランスが良さそうですよね。家にずっとこもりきりでもなく、毎日満員電車に揺られるわけでもないですし。

その通りです。今の働き方なら両方を経験できます。成果をきちんと出せば問題ありません。早く終える日も遅くなる日も選べ、出社の有無も自分で決められます。例えば今日はミーティングがなかったのでリモートでした。私にはぴったりです。フルリモートだった頃とは違う感覚がありますね。

ゲーム業界でフリーランサーとして活動されていたのは、フランスと日本のどちらでしたか?

両方です。最初は病院向けのゲーム「シリアスゲーム」の制作に携わり、その後フランスでアニメーションとリギングを担当しました。その頃、日本で学ぶ準備も進めていて、日本に来て最初の一年は語学に集中しました。のちに友人経由でフリーランスの案件を受け、最終的に日本で有給のポジションを見つけました。

フランスのゲーム業界にはとても興味があります。私の知っているフランス人の友人は、全く残業をせず、6時になると「もう帰るね。メールもしないで、連絡もしないで」と言って帰ってしまうんです。

基本的には、フランス人は仕事とプライベートは厳密に分けますね。ただアートの業界の仕事では、仕上げのために遅くまで残ることもあります。

クリエイティブ業界の労働環境は、世界的に同じだということですね。

はい。フランスのUbisoftに友人がいます。『アサシン クリード』などの大作を手がけているスタジオです。プロジェクトの終盤には、いわゆる「クランチ」が発生することが多いです。開発が予定より遅れる傾向があるため、完成間近になると従業員に残業が求められることがあるんです。

理系からアートへ進路を変えたとき、不安はありましたか?

とてもありました。私の家族はプログラミングや航空・宇宙など理系分野の人間が多く、「普通」の進路は大学からさらに進学する、という道でした。生物学は好きでしたが、将来や就職を考えると自分には合わないと感じたんです。プログラミングも考えましたが、一日中コードを書くのは好きではなくて。そこで「ゲームかも」「3Dかも」「アニメーションかも」と方向を変えました。結果的に良い選択だったし、アートを選んだことに後悔はありません。

その一歩を後押ししたものは何ですか?

勇気、そして好きなことを貫く気持ちです。情熱を仕事にしたいなら、まずは全力でやってみること。合わなければ後から軌道修正もできます。チャンスはありますが、理想の分野で働くには努力と犠牲が必要です。特にアートはそうですね。一番難しいのは「最初のひとつ」を得ること。最初の案件、最初の経験、最初のプロジェクト。最初はネットワークを築く段階なので大変ですが、それを越えると少しずつ楽になります。

価値観の定義

もう少し概念的な質問があります。「テクニカルアーティスト」とは、あなたにとってどんな意味がありますか?

たくさんのツールを使ってアートをつくることです。鉛筆だけで描くのとは違って、テクノロジーやソフトウェア、技術的な手法を使って3Dに命を吹き込み、作品として形にしていきます。

あなたの人生やクリエイティブキャリアはどう変わりましたか?

アートの世界では、一生学び続ける姿勢が大切だということを教えてくれました。学校を卒業したときは「理解した」と思っていたんですが、テクニカルアートではコンピューターやプログラミング、パイプラインなどを扱うので、すべてが常に進化していきます。新しいツールやハードウェア、3Dアニメーションや映画、ゲームの新しいワークフローなど、次々に変わっていくんです。だから今でも、ほぼ毎日少しずつ、新しいツールやプラグイン、アニメーションや制作の新しい方法に触れるようにしています。

私も学び続けなきゃと思うんですが、新しい技術やAIの多さに圧倒されることもあるんです。Kentiさんはどうですか?

ゼロから学ぶときは特に大変ですよね。コツは、小さな習慣を続けることです。1日15分や30分でも構わないので、少しずつ理解を積み重ねていきます。毎日でなくても構いません。読み直したり、見直したり、ツールに触れたり、描いたり、デザインしたりして、頭の中に置いておくと、時間が経つにつれて自然に定着していきます。

日本や東京への想い

東京や日本についても伺いたいです。Kentiさんにとって東京はどんな場所ですか?

コンクリートジャングルですね。フランスの田舎出身なので緑が恋しくなります。でも東京はチャンスの街。出会える人が多く、アートの世界でのネットワークを築けます。巨大な都市なのに個人的な体験もできる。毎日新しい発見があり、まるでひとつの国のようです。

そもそも、なぜ日本に来ようと思ったのですか?

仕事の機会を求めてです。日本には、フランスでは見つけられなかったチャンスがあると思います。個人的には、子どもの頃から日本のドキュメンタリーや映画、アニメをよく見ていて、家族もアニメが好きで、伝統文化にも惹かれていました。フランスでは、親や友人から「日本人以上に日本人っぽい」と冗談で言われることもありました。 私自身も、日本人のように人へのリスペクトを大切にしていますし、風景やハイキングも大好きです。

来日前の印象と、実際に住んでからの印象は変わりましたか?

ほぼ想像通りでしたね。来日前の約4年間、言語だけでなく社会やルールも毎日学んでいたので、実際に来てもギャップは小さかったです。予備知識なしで来るとかなり違う体験になると思います。事前に学んだおかげで、文化的な隔たりはだいぶ小さくなりました。

つまり、十分に学んでから来れば文化的なギャップは小さくなる、ということですね。

そうですね。完全になくなるわけではありませんが、外国人として来る以上、その文化を理解し、受け入れていく責任があります。私の性格にも合っていたので、自然に馴染めました。

日本とフランス、日常生活での違いはありますか?

日本は移動がとても便利です。交通もよく機能しています。フランスのほうが就職面で楽に感じる部分もありますが、日本では若い世代の意識が変わってきていて、少しずつフランスに近い雰囲気になってきている気がします。今の会社は、働き方のバランスの面で「フランス的」なところもあり、日常生活は想像以上に快適です。医療保険や医療サービスの質も高く、安全面も優れているので、私は安心して暮らせています。もちろん外国人としての別のストレスはありますが、日々の生活は穏やかです。

これからの道のり

クリエイティブ面で、これからの展望はありますか?

一つの会社に留まるつもりはありません。時々、会社や業界を変えていきたいと思っています。なぜなら、変化のたびに新しいツールを学び、新しい人と出会い、ネットワークを広げ、給料も上げられるからです。1〜2年で十分な経験を積めば、またゲーム業界に戻るチャンスが開くかもしれません。まだ分かりませんが、大切なのは一箇所に留まらず、挑戦を続けることです。

今のところ、具体的な目標はありますか?

いまはゲームの内外を問わず学び続けています。長期的な目標は自分の会社をつくることですが、焦りたくはありません。まずは学ぶことを優先しています。

それは素敵ですね。いつからその目標を持ち始めたのでしょうか?

サラリーマンでいるのも悪くありませんが、自分でプロジェクトを選びたいですね。もっと自信がついたら、自分の経験を人に渡したい。若い人は経験が少なくても新しいアイデアを持っています。ゲーム学校のとき「会社設立」という授業があり、先生に「一生誰かの下で働くか、仲間と何かをつくるかは自分の選択だ」と言われました。その頃から、いつか自分でつくると決めていました。

会社設立にはクリエイティブ以外にもビジネス、人脈、税務といったことが必要ですよね。どう進めていこうと考えてますか?

一歩ずつです。まずは会社で働き続けて、自分の分野での制作を徹底的に学びます。そのあとで会社の作り方、ビジネス面や管理、書類手続きなどを学んでいくつもりです。経験や運営の理解、そして資金をしっかり整えることが土台になります。情熱は大事ですが、焦らず着実に準備したいです。

届けたいメッセージ

Kentiさんと同じ業界に進もうとしている人たちに、アドバイスはありますか?

まずはポートフォリオですね。企業はそこであなたの仕事や経験、スキルを見ます。載せられるスキルはできるだけ載せつつ、一番目指したい専門を最初に見せると良いです。そのほかに、テクニカルアーティストとして必要なスキルもアピールしてください。あわせてネットワークづくりも大切です。フランスではゲームジャムによく参加していました。2~3日でチームを組んで小さなゲームを作るイベントで、無料で参加でき、ゲームづくりが好きな人と出会え、腕も早く上がり、ネットワークも広がります。フランスでは支援も多く、東京にもゲーム業界のコミュニティがあります。

ポートフォリオの順番についてですが、目指す分野の作品を一番上に置くのは、ほとんどの人が最初からテクニカルアーティストとしてスタートするわけではないからですよね?

その通りです。たいていは、まずアニメーターやリガー、テクスチャーアーティストなど、特定の役割から始めて、スキルを積み重ねてテクニカルアーティストになっていきます。ですので、たとえばアニメーターを目指すなら、アニメーションの作品を最初に見せると良いです。キャリアは後から変わることもあります。

自分で会社を始めるとしたら、理想のクライアントはどんな人ですか?あるいは、理想の仕事は何ですか?

理想は、ピクサーやディズニーのような3Dアニメーション映画をつくることです。かつてはゲームスタジオを立ち上げたいと思ったこともありましたが、友人たちの経験から、それはとても大変だとわかりました。だから今は、クライアント向けのアニメーションを制作しながら、自分自身のオリジナル映画も作る、という形が理想です。それが目標ですね。

若い頃の自分へ送るメッセージはありますか?

ポートフォリオに力を入れること、そして一つのことだけを学んで扉を閉ざさないことが大切です。学校では「これだけ勉強して、この仕事だけやろう」と思っていたんですが、この業界では常に進化し続ける必要があります。もしもっとスキルを増やしたいなら、他の業界や分野にも目を向けると良いです。 これは、あるデッサンの授業を思い出します。以前、幹を下から上へ一気に描いていた私に、先生が「枝が伸びる余白を残しなさい」と言ったんです。キャリアも同じで、枝が伸びる余地を残すこと。扉を閉じず、できるだけ多く学び続けてほしいと思います。

ありがとうございます。最後に一言、特に日本で働くことを考えている人へのメッセージはありますか?

ビザや仕事の面では、日本は決して簡単ではありません。でも、不可能というわけではありません。本当にやりたいと思うなら、必ず道は開けます。

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