音楽プロデューサー兼アーティストのArran Symは、10代の頃にドラムマシンで遊び始めた小さなきっかけから、やがて音楽を本業とするまでに至った自身の道のりを振り返ります。インタビューでは、創作のプロセスや音楽づくりがもたらす幸福感、そして業界を見つめる彼ならではの視点を語っています。
自己紹介
少し自己紹介をしていただけますか?
アランといいます。スコットランド出身です。音楽プロデューサーであり、アーティストであり、エンジニアでもあって……とにかく音楽に関わること全般をやっています。
音楽に関して、今やっていることをもう少し詳しく教えてください。
音楽を始めたのは16〜17歳の頃です。音楽制作に興味を持って、最初は完全に趣味としてやっていました。1〜2年ほどは自分のためだけに曲を作っていたんですが、友人のひとりが聴いて「これ、オンラインに出したほうがいいよ」と勧めてくれて。そこでYouTubeにアップしたのがきっかけで、次第に本気で取り組むようになり、やがて他のアーティストとも一緒に仕事をするようになりました。
最初に一緒に活動したアーティストはどうやって見つけたんですか?
当時はブログ経由でしたね。ブログのシーンがすごく盛り上がっていて、いつも Complex や Hypebeast、Noisey、The Fader といった新しいアーティストを紹介しているブログをチェックしていました。ある日そこで「この人たちと一緒にやってみたい」と思うアーティストを見つけて、実際にコンタクトを取ったんです。何度もトライした末に、最終的に「一緒にやろう」と返事をくれた人がいて、そこから始まりました。
きっかけ
音楽を始めた当初のことに戻りますが、具体的にどうやって始まったんですか?
子どもの頃から音楽やギターを弾くことにはすごく興味があったんです。でもきっかけになったのは2010年のVMA(Video Music Awards)を観ていたとき。カニエ・ウェストがステージでパフォーマンスをしていて、そのときにMPCという音楽制作マシン、いわゆるドラムマシンを使っていたんです。「あれはなんだ?」と思って調べてみたら、音楽制作のための機材だとわかって。しかも安いモデルも売っていることを知って、最終的には誕生日か何かで母が買ってくれたんです。パッドがいくつか付いている小さな機材で、それが音楽制作を始めたきっかけでした。
その機材は今も持っていますか?
いや、もっと良いものを手に入れたので手放しました。そのうちビートを売るようになって、貯めたお金で本格的な機材を買ったんです。「Maschine」というもので、当時はまだ新しかったのでオンラインで注文しました。学校にいるときに「この時間に届きます」というメールが来て、昼休みに家に帰って届くのを待っていたんです。開けた瞬間「やばい!」って(笑)。そこからはもうずっと音楽づくりに没頭していました。全部、母の家のリビングでやっていたんですよ。スコットランドの小さな家だったので、家族がテレビを観ている横で、僕は隅っこでビートを作っていました。
音楽が趣味ではなく、職業になったのはいつですか?意識が変わったきっかけは?
僕の場合、はっきり「この瞬間から」というのはなくて、少しずつプロフェッショナルなものになっていった感じです。最初は完全に趣味でやっていましたし、しばらくはアルバイトをしながら、その傍らで音楽の仕事をしていて、ちょうど半々くらいの状態でした。でも日本に住んでいた頃、ある日アルバイトに行こうとしたら雨が降っていて、「今日は行かない、雨だし」と思って休んだらクビになったんです(笑)。それ以来、音楽だけでなんとか生活できるようになりました。
音楽を始めた最初の数年間、強いモチベーションやインスピレーションはありましたか?
ずっと変わらないんですが、「とにかく最高の音楽を作りたい」という気持ちが一番の原動力ですね。
つくる楽しさと難しさ
音楽を作っているとき、一番の瞬間ってどんなときですか?
完成した曲じゃなくてもいいんです。アイデアを形にしたとき、それがまさに自分の思い描いていた通りに表現できた瞬間ですね。頭の中のイメージを完璧に音楽に落とし込んで、それを聴き返したときに「これだ!」と思える、その瞬間が最高です。
あなたは音楽だけでなく、3Dアートなどほかのクリエイティブなこともしていますよね。そういうときにも似たような感覚を得られますか?
楽しいし、やりがいを感じることもあります。でも音楽とは全然違いますね。音楽はまるでドラッグみたいなもので、その世界に完全に没頭できるんです。ほかのクリエイティブでは、あの感覚までは得られないんですよ。
じゃあ、それに出会えたのは本当に幸運だったんですね。
そうですね。でも「出会えた」っていうより…それが音楽なんじゃないかな。
音楽制作で一番つらい部分はなんですか?ミュージシャンをやめたいと思ったことはありますか?
いや、一度もないですね。だって…「人間をやめたいと思ったことある?」って聞かれるようなものです。その質問自体あまり意味をなさない気がします。どんな状況でも、たとえ趣味や遊びだとしても僕は音楽を作り続けると思います。 でも一番つらいのは、作るものが全部ダメな日のこと。何をやってもクソみたいに感じる日ですね。音を探して曲を作ろうとしても、すべてがひどく聞こえる。何時間も音をスクロールして、ドラムもピアノもギターも全部ダメに思えて、「これ一体なんなんだ?」って頭を抱える瞬間があるんです。
そういうときは、どうやって乗り越えるんですか?
すべてがひどく聞こえるような日は、「今日はそういう日じゃないな」と割り切ることが多いです。でも、結構うまくいく方法としては、新しいものをゼロから作ろうとせずに、未完成の過去のアイデアに戻って取り組むことですね。そうすると少し気持ちが楽になって、自信も取り戻せます。すでに始まっているアイデアを広げる方が、まっさらな状態から新しい曲を生み出すよりずっとやりやすいんです。
自分より優れたクリエイターに嫉妬したことはありますか?
嫉妬っていうのとはちょっと違うかな。たまに「うわ、この曲めちゃくちゃいいな。自分が作りたかった!」って思うことはあります。でもそれは嬉しい感覚なんです。その曲を誰かが作ってくれたこと自体がありがたい、っていう気持ち。わかりますか?自分が作れたら最高だけど、それ以上に「誰かがこの曲を生み出してくれてよかった」と思うんです。だって、そうじゃなければその曲はこの世に存在しなかったわけですから。そう考えると、その曲が存在することで世界は少し良くなっていると思うんです。
その考え方はどこから来ているんでしょう?
ただ単純に音楽が大好きだからだと思います。何より先に、自分は音楽のファンなんです。そこからすべてが始まっているんですよ。
すごいですね。
もちろん自分でもいい音楽を作りたいと思っています。でも、ミュージシャンやプロデューサーになる前に、ただ音楽を聴くのが大好きな子どもだったんです。子どもの頃の最高の思い出のひとつは、LAXからサンフランシスコまで8時間くらいバスに乗って、ずっとレッド・ホット・チリ・ペッパーズをイヤホンで聴きながら、窓の外を眺めて過ごしたことなんですよ。本当に最高の時間でした。だから、何よりも先にあるのはその気持ちで。誰が作ったかは関係なく、いい音楽を聴けること自体が幸せなんです。
価値観の定義
音楽のどんなところが好きなんですか?
とても純粋なところですね。人間のクリエイティビティそのものだと思います。何もないところから始まって、誰かの頭の中のアイデアが曲になり、それを世界中の何百万人もの人が好きになれる。背景も国も宗教も階級も違う人たちが、みんなでビートルズを口ずさめたりするんです。それが最初は、ただの誰かのアイデアに過ぎなかったなんて。本当にすごいことだと思います。
あなたにとって「最高の音楽」とはどういう意味ですか?それについて考えたことはありますか?
僕にとっては、自分が一番幸せで誇りに思える音楽のことですね。自分が心から気に入るものを作れたときのあの感覚、それがモチベーションを突き動かしているんだと思います。
これまで作った曲の中で、一番幸せを感じるのはどの曲ですか?
たいていは最新の曲ですね。振り返って聴いてもまだその感覚を与えてくれる曲もいくつかあるんですが、基本的には新しい曲を作るたびに「これだ!」って思えるんです。
つまり、目標やモチベーションは「最高の音楽を作ること」ということですよね。そのレベルに到達したらどうなるんでしょう?
音楽を作っていると、ときどきそのレベルに達したと感じる瞬間があります。心から誇りに思えて、「ああ、これをやるために自分は音楽をやっているんだ」と思えるような曲を作れたときですね。
日本や東京への想い
日本での生活について聞かせてください。東京はあなたにとってどんな場所でしたか?
日本は意外と平和だと思います。少なくとも東京は、驚くほど平和ですね。ものすごくカオスで忙しくて、騒がしくて、毎日のように何か面白いことが起きるのに、意外と落ち着いているんです。私にとっては「秩序あるカオス」なんですよ。たとえば電車には何百万人もが押し込まれて、めちゃくちゃに見えるけど、ちゃんと時間通りに走って、みんな目的地に着いて、家に帰って、全部が普通に機能している。その「どんなにカオスでも結局きちんと回っている」ということが、私にとっては平和に感じられるんです。
東京のそういう部分から音楽的にインスピレーションを受けましたか?
はい、そうだと思います。東京に住んで日本のアーティストと一緒に制作していたときの音楽は、普段自分が作るものとはかなり違っていました。自分なりの東京のイメージや感覚を音にした、そんな感じでしたね。
日本に来る前は何かしらイメージを持っていたと思いますが、それはどう変わりましたか?
多くの人がそうだと思うんですが、日本に行く前のイメージって、すごく理想化されていて、まるでおとぎ話みたいなんですよね。すべてが未来的でハイテク、みたいな。でも実際に日本に行くと、建物や仕組みは意外と古くて、いまだにハンコを押さなきゃいけなかったり、紙の書類を出さなきゃいけなかったり、FAXを使っていたりする。銀行振込も面倒だし、口座すら簡単に開けない。「これは一体どうなってるんだ?」って思いました。だから日本は20年くらい遅れているように感じる部分もありますね。観光で行くときはそういうことに触れないから気づかないんです。電車は速いし、食べるところは山ほどあって、何でも遅くまで開いている。でも実際に生活して、事務的なことをやろうとすると「こんなの想像してなかった」って驚くんです。
これからの道のり
ご自身の未来をどう描いていますか?
これからも音楽を作り続けたいですね。新しいジャンルを探求したり、新しいアーティストと一緒に制作したり。そうやって挑戦を続けながら、ずっと良い音楽を生み出していきたいです。
40年後、どんな人生を送っていると思いますか?
正直、全然わからないですね。そんなに先のことまで考えたことはないです。だって1週間先でさえ、計画した通りにはならないでしょう。1年先だって難しいし、5年先だって想像しづらい。40年なんて、とても考えられないですね。
届けたいメッセージ
若い頃の自分にアドバイスするとしたら?
もっと早く音楽のビジネス面について学んでおけ、ですね。どんなにいい音楽を作れても、その部分を知らなければ難しいことになるから。
初心者へのアドバイスはありますか?やっぱり同じことですか?ビジネス面はどうやって学べばいいんでしょう?
オンラインには本当にたくさんの情報があります。でも単なる知識だけじゃなくて、マインドセットが大事だと思うんです。事実を知っているだけではダメで、それを活かす考え方や姿勢がなければ意味がない。僕にとって大きかったのは、そのマインドが切り替わったことでした。ちゃんと意識を向けて、すべてをきちんと整えること。自分の権利、音楽の権利を正しく管理して、チャンスが訪れたときにすぐ動けるように準備しておくこと。そういう「ちゃんとやる」姿勢が大事なんです。
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