音楽とデザイン、ふたつの情熱を追い続けてきたグラフィックデザイナー兼イラストレーターのMRDY。音楽の制作会社での経験や、地元茨城でのDTPデザイナーを経て、東京のデザイン事務所でフェスやアーティストグッズの仕事に携わり、現在はフリーランスとして幅広く活動しています。挑戦を繰り返しながら「好きなことを突き詰めたい」と突き進んできた彼女。VERDYへの憧れを胸に、仲間やつながりに支えられながら歩んできたストーリーを掘り下げます。
自己紹介
自己紹介をお願いします。
茨城県出身のMRDYです。現在は東京で、フリーランスのグラフィックデザイナー兼イラストレーターとして活動しています。
きっかけ
グラフィックやイラストを始めたきっかけを教えていただけますか?
子どもの頃から絵が大好きでした。夏休みの宿題も、算数のワークは出し忘れてもポスター制作だけは必ず出す、みたいなタイプで(笑)。中学・高校は普通校でしたが、卒業アルバムのイラストなどを頼まれることが多く、将来は漫画家やイラストの仕事に関わりたいとぼんやり考えていました。 進路相談では大学進学も考えましたが、「人と違うことに挑戦して自分の力を試したい」と思い、東京のデザイン専門学校へ。グラフィックデザイン科で2年間学びました。入学前のプレスクールで先生に「絵を描いて広告のようなことをやりたい」と相談したとき、「それはグラフィックデザインだね」と言われ、そこで方向が定まりました。
学生時代の2年間はどんな日々でしたか?
本当に忙しくて、正直あまり記憶がないほどです。上京の直前に父が病気で亡くなり、一人暮らしを始めたばかりで、課題とバイトの往復。母も昔、私と同じ学校のファッションデザイン科に入ったことを知り、「あなたにはちゃんと卒業してほしい」と背中を押してくれました。その思いも支えになりました。
卒業後の最初の進路はどう決められたんですか?
「音楽×デザイン」に関わる仕事がしたいと強く思っていました。ただ新卒で音楽会社に入るのは狭き門なんです。制作会社や、番組の音楽周りを扱う会社も受けつつ、第一志望のデザイン会社にはポートフォリオを何度も送り続けました。 いったんはAD系制作会社の内定を受けたのですが、その直後に第一志望の会社から面接の連絡が来て、悩みに悩んだ末に内定を辞退して挑戦。結果、インターンとして憧れの会社に入社することになりました。けれど基礎力不足や深夜作業にメンタルが追いつかず、早い段階で退職しました。現実を突きつけられた時期でした。
その後も音楽業界へ?
はい。音楽会社の宣伝のポジションに就き、SNS更新、イベントのスタッフパスのデザイン、小さな文字修正、外部デザイナーへの依頼などを担当しました。ライブハウスでのチラシ配りも毎日のようにやっていました。 次に、大手音楽系事業会社の事務系ポジションに転職しました。人も良く、約1年働きましたが、数字や経費処理など自分に向かないと感じる業務が中心で、コロナ禍でリモートになったことを機に一度地元へ戻り、「やっぱりデザインをきちんとやり直そう」と思うようになりました。
地元でデザイン実務に戻ったのですね。
はい。茨城の広告代理店で、雑誌・紙面・パンフレットなどを作るDTPデザイナーのアルバイトをしました。ブランクが長く最初は本当に苦戦しましたが、直属の上司が“神”のように丁寧に1から教えてくれて、質問もしやすい空気を作ってくれました。私にとって恩人です。 2年ほど在籍して基礎を立て直すと、再び東京で音楽やエンタメのデザインに挑戦したい気持ちが強くなりました。専門学校時代から憧れていた小さなデザイン事務所があり、募集は出てなかったのですが、連絡したら運よく「採用しています」と言われて。応募して内定をいただきました。その時のチームに負担をかけることは心苦しかったのですが、上司や同僚が最終的に背中を押してくれて、春に上京しました。
その事務所では、どんな仕事をされていたんですか?
会社の規模は小さいですが仕事は大きくて、フェスのTシャツやアーティストグッズなど、手応えのある案件が多かったです。雑誌にも掲載されるような実力者の上司がいて、私が音楽好きだと知ると、CDジャケットやグッズなどチャンスを次々与えてくれました。毎日が楽しくて、「やっぱりデザインって最高だな」と実感する日々でした。 ただ、リモートで朝から深夜4時ごろまでの作業が続き、土日も休めない状態が長引いて、心身が限界になってしまって。ある日、久しぶりに外に出た瞬間に涙が止まらなくなって、退職を決めました。 退職の2日後に、ネイルサロンを経営する友人と飲みに行ったとき「フリーランスやってみなよ」と言われたのが転機です。正直、私には無理だと思っていましたが、「今月30万円、稼いでみろ」と脅されて(笑)。 Instagramでイラスト受注の告知を始めると少しずつ依頼が入り、ありがたいことに初月で目標達成したんです。そこで「いけるかも」と思い、フリーランスになることを決意しました。確定申告や税務のことは何も分からず、手探りで覚えていきました。
今のお仕事の内訳を教えていただけますか?
グラフィックがいちばん多いです。最近は、やりたかったエンタメや音楽系の仕事も増えてきました。フライヤー制作、アーティストのグッズ(Tシャツなど)のデザイン、広告物、パッケージまで幅広く担当しています。 加えて、最近カメラを買って、モデルさんの撮影も始めました。なのでグラフィック以外のお仕事も徐々に取り入れています。
つくる楽しさと難しさ
制作していて一番幸せな瞬間はどんな時ですか?
提案をお見せしたときに「わあ、最高!」と喜んでいただける瞬間ですね。表向きは照れますが、内心はガッツポーズです。「MRDYさんにしかできない」と言ってもらえると、やっていてよかったと思えます。
フリーランスになって、大変だと感じることを伺わせてください。
仕事にセーブがないことですね。止めれば収入も止まるし、受ければずっと動き続けることになる。クライアントとの意思疎通が難しい場面もあります。以前は言われるたびに落ち込んでいましたが、今は線引きができるようになってきました。「合わないと感じたら、別のデザイナーにお願いしても大丈夫です」というメンタリティーでコミュニケーションする勇気を持てるようになったのは大きいです。
日本や東京への想い
東京という街は、あなたにとってどんな場所ですか?
チャンスをくれる場所です。行動すれば叶う。ネットでの発信がきっかけで、最近も音楽フェス関連のイベント案件の依頼をいただきました。ずっとやりたかったことだったので、「夢って本当に叶うんだ」と実感しました。
価値観の定義
あなたにとって「クリエイティブ」とは?
仲間とつながるための媒介です。カメラマン、ディレクターなど、分野をまたいで人がつながっていく。仕事も、友人や知人からの紹介で広がることが多い。私にとっては「好きな人たちと、好きな仕事をして、毎日をおもしろくする」ための手段だと思っています。
イラストのスタイル形成に影響を受けた存在はいますか?
VERDYさん(Girls Don’t Cry など)です。学生の頃から大好きで、絵を真似して描いていました。あるときフェスのライブペイントで直接お話しできて、名刺をお渡しし、「いつか一緒に仕事がしたい」とお伝えしました。短い会話でしたが、とても励みになりました。名義「MRDY」の由来も、その頃の自分の想いに重なっています(ご本人は覚えていないかもしれませんが)。いつか同じステージでご一緒するのが夢です
これからの道のり
今後のキャリアをどう描いているんですか?
いろんな人に話しているのですが、私の原動力のひとつは、かつての“苦手な上司”の存在です。とてもセンスのある方でしたが、言葉が強くて「お前は全然できない」と言われたことが今でも刺さっています。 だからこそ、同じ仕事ができなくても、せめて同じ土俵に立てるくらいの技量をつけたい。イラストだけに限らず、マルチに活躍できるデザイナーになりたいです。茨城の代理店時代に本当に丁寧に教えてくれた上司にも、仕事で恩返しができるくらい成長したいと思っています。 私は本当に人に恵まれていると思います。お仕事をきっかけに仲良くなって、「紹介するよ」と次につなげてくれる方がたくさんいる。ありがたいです。
新しい挑戦やリスクを取り続けられていると思いますが、そんな時、どう一歩を踏み出しますか?
私は、とにかくやってみます。いけそうだと思ったら迷わず動くし、ダメだったら潔く諦める。やらずに終わるのがいちばんもったいないと思うからです。少なくとも一度は手を出してみて、合わないと分かったらやめればいい。そこへの恐怖はあまりなくて、どちらかというとワクワクのほうが強いですね。自分でも「ちょっと頭おかしいかも(笑)」と思うくらい、前のめりなタイプです。
届けたいメッセージ
過去の自分に今の自分がアドバイスするとしたら、どんなことを伝えると思いますか?
好きなことをやれ、ですね。中途半端にせず、恥をかいてもいいから突き進んでほしい。好きなら、たとえ遠回りしても結局その道に戻っていくはずだから。私も一度は「デザインをやりたくない」と思ったけど、いまはまたデザインを仕事にしている。だからこそ、とにかく好きなことを突き詰めろ、と伝えると思います。
ありがとうございます。では最後に、いまの心境をひと言でいうと?
「おもしろい人生だな」。そう思える毎日です。
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